皮膚の培養細胞はどこから来たの? 〜基礎研究を支える培養細胞の話〜
再生医療。私が大学生になった頃は、この言葉がこんなに一般的になるなんて思ってもみませんでした。
ヒトからとった細胞を培養してそれを本人に移植する。
昔から細胞シートレベルでの話は聞いたことが有りましたが、
最近の再生医療分野の目覚ましい研究成果の報告を聞いていると、
患者さん本人の細胞を培養して作られた肺や心臓などの器官を移植できるようになるのも
そう遠い未来ではないのかなぁ、と期待してしまいます。
今日のお話は、この再生医療を含めた医療分野を支えてきた、ある培養細胞のお話です。
その名もNHDF。正常ヒト皮膚線維芽細胞という細胞です。
多くの再生医療、がん研究などの医療研究の研究室で古くから使われてきた、
歴史あるメジャーなヒト由来の培養細胞です。
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これは私が大学4年生の時の話。
「ねぇねぇつなぽん、私達が使っている培養細胞、どこから取られたものか知ってる?」
共通実験室で慣れないゲルの撮影に挑んでいた私に、クリーンベンチ*1を使い終わった他研究室の先輩が話しかけてきた。
その研究室は医療関係の研究をしていて、
ヒトの皮膚の培養細胞、先の"正常ヒト皮膚線維芽細胞"を主に使って実験していた。
私「え?ヒトの皮膚からとったんじゃないんですか?ヒト皮膚線維芽細胞というくらいなんだから。」
と答える私に
先「でも考えてみてよ、普通のヒトのその辺の皮膚なんて、簡単には取ってこられないじゃない?」
と先輩。
それもそうかぁ。確かに「実験に使うから皮膚ください」なんて言われて
ホイホイ差し出す人が居るとも思えない。
それに、正常ヒト皮膚線維芽細胞というくらいだから、炎症が起きていたりガン化しているものは使えない。つまり、皮膚がん患者から採取したものではなさそうだ。
私は落としてばらばらになったゲルのピースを組み合わせながら考えていたが、
正常ヒト皮膚線維芽細胞がどこからやってきたのか、全く検討もつかないでいた。
思案を巡らせる私に、
先「あるんだよなー、皮が余ってるところがさぁ、人の体には。」
先「ヒントはねー、NHDFは、男の人の細胞だよ☆」
すごく嬉しそうな表情でヒントをくれた。
不自然なほど嬉しそうだ。
何だその表情は。
そして私ははたと気づいた。
ん?男の人…?皮が余っている…だと…??
まさか。。。まさかまさかまさか!
全国の医療系研究室で毎日のように使われ!
私が学生実習の時に継代させてもらったあの培養細胞ちゃんたちは!
男性のデリケートゾーン(から取られた細胞)だったというのだろうか!
おそるおそる聞いてみる。
私「もしかして。。。あそこの皮ですか。」
先「うん☆そうだよ~。 ただし、赤ちゃんのだけどね☆」
アメリカの文化とNHDF
たしかに、皮膚が余っているといえば余っているヒト(♂)も居るだろう。
でも、まさか。まさかその余剰分が培養細胞になっていたなんて。
半信半疑で培養細胞のカタログを開くと。そこには確かに書いてあった。
Normal Human Dermal Fibroblasts (NHDF), juvenile foreskin
ヒト皮膚線維芽細胞(Normal Human Dermal Fibroblasts:NHDF)|タカラバイオ株式会社
訳; (正常ヒト皮膚線維芽細胞, 乳幼児の包皮)
他のサイトを見ても、
ヒト包皮線維芽細胞
ヒト包皮線維芽細胞は新生児の包皮から採取した線維芽細胞です。
正常ヒト初代培養細胞 - 皮膚・毛髪関連 | Dermal Cell / Hair Cell System | コスモ・バイオ株式会社
まじか。まじであの皮なのか。
でも、一つ疑問が残る。
なぜ、新生児のものなんだ?
それには、日本人にはあまり馴染みのない文化、
"割礼"が関係していた。
私はこのへんの文化の知識がなく、やぶへびになりそうなので、wikiさんをそのまま貼り付けておく。
キリスト教徒が約8割を占めるアメリカ合衆国では、宗教との関連ではなく、衛生上の理由および子供・青少年の自慰行為を防ぐ目的などの名目で、19世紀末から包茎手術が行われるようになり、特に第二次世界大戦後、病気(性病、陰茎がんなど)の予防に効果があるとされ、普及するようになった。これには、医療従事者に割礼を行う宗教(主にユダヤ教)の信徒が多く、包皮切除に対する違和感が低かったため、という指摘もある。
1990年代までは生まれた男児の多くが出生直後に包皮切除手術を受けていた。アメリカの病院で出産した日本人の男児が包皮切除をすすめられることも多かった。しかし衛生上の必要性は薄いことが示されるようになり、手術自体も新生児にとってハイリスク[3]かつ非人道的との意見が強まって、1998年に小児科学会から包皮切除を推奨しないガイドラインが提出された。これを受け、包皮切除を受ける男児は全米で減少してきているが、21世紀に入ってからもなお6割程度が包皮切除手術を受けている。
つまり、アメリカでは新生男児の包皮を切除する文化があり、そのために新生児の包皮が医療廃棄物として廃棄されているという背景があるのだ。
そのため、研究に用いる皮膚の培養細胞を安定的に供給できるらしいのである。
男児が可哀想とか、なんで割礼なんてやり始めたんだという疑問やクレームについては、つなぽんはお答えしかねるので誰か他の人に聞いてください。m(*_ _)m
とにかく医療分野の研究は男児包皮由来のNHDFの利用により支えられてきた
もちろん、医療の発展に寄与してきた培養細胞はNHDFだけでは無いのだが、
NHDFの医療研究への寄与は非常に大きかったのだ。
細胞シート作製や、抗癌剤の効き目の測定など、さまざまな医療研究の研究シーンでこのNHDFは活躍してきた。
今後、もし治療の際に再生医療や抗癌剤のお世話になることがあったなら、
どうか医療研究に貢献してきたアメリカの男児たちに感謝しながら治療を受けて欲しい。
私も、今後NHDFを扱う機会に恵まれたら、その由来に思いを馳せながら
優しく大切に扱おうと思っている。(理学部なのでヒトの細胞は基本的に扱わないけど)
今日もどこかの研究室で、男性のデリケートゾーン由来のNHDFが活躍していることだろう。
ひとまずおわり。
以下蛇足。
実はNHDFには乳幼児包皮由来のものの他に、成人由来のものも存在する。
正常ヒト皮膚線維芽細胞(NHDF)
未成年者の包皮または成人の様々な部位から採取した皮膚(顔,胸, 腹部,大腿部など)から分離された線維芽細胞です。
正常ヒト線維芽細胞 | 前駆細胞/正常細胞/その他細胞 | フナコシ
こちらは、詳細を知らないので間違っていたら申し訳ないのだが、
おそらく献体からの提供ではなかったかと記憶している。
成人由来の皮膚も、乳幼児と同様の部位からの医療廃棄があるのではないかと予想したりしているのだが、
研究には使われていないのかな。。。どうなのかな。。。
フリー写真素材ぱくたそ [ モデル 大川竜弥 ]
(あと、NHDFについてですが、私の知る限りで細胞シートの作製や抗癌剤の副作用を調べる研究で使用されている論文を読んだことがありますが、
実際はヒト正常細胞としてもっと一般的に使われているのかもしれません。
つなぽんはヒトの細胞を扱ったことが無いので、間違い等あればご指摘願います。>_<)
追記;3/16 17:10頃
もっと知りたい!と思った方のための外部リンクを置いておきます。
①Skin Regeneration & Stem Cells
東京医科歯科大学の准教授の先生が書いておられるブログです。
内容が少しむずかしいですが、とても興味深いブログを書いていらっしゃいますのでぜひ。
②PDF バイオよもやま話(生物工学第92巻 p110~)Green博士の再生医療
https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/9203/9203_yomoyama.pdf
埋め込めなかった。。。
再生医療系ベンチャー企業、ジャパン・ティッシュ・エンジニアリングの井家先生が著した、再生医療に関するコラムです。
こちらも生物に馴染みのない人には少し難解な内容になっているかも。
本当におわり。
*1:培養細胞にばい菌がはいらないように工夫された実験台