つなぽんのブログ

生物学者♀のたまごつなぽんのポスドク日記。

ニューヨークの近況について

最後の投稿をしてから随分と時間が経ってしまった。

その間にわたしはと言うと、結婚したり、ニューヨークで仕事を始めたり、子供を産んだり、なんだか色々あった。

今日、わたしが久しぶりに筆をとろうと思ったのは(実際にはキーボードで打ち込んでいるのだが)、COVID19感染のエピセンターとなってしまったNYCに身をおいていた身として、実際に私が体験した空気感をここに記録として残しておこうと思ったからだ。

 

私はニューヨークのマンハッタンに3年近く住んでいる。

この街は二週間前とは全くかわってしまった。

レストランは開いていない。

スーパーには入場制限がかかり、銀行もATMのみの営業だ。

売店には閉店した店もいくつかある。

町中がいつ終わるかわからないロックダウンに、不安を感じている。

 

  

2月下旬

ニューヨークの話題といえば、もっぱら「プラスチックバックの禁止」の話だった。少なくともわたしの周りでは。3/1から、スーパーでのプラスチックバックの使用が禁止になると言うので、みんなで「環境に優しくていい」だとか、「でも結局ゴミを入れる袋は必要なんだから環境に優しいアピールしたいだけだろ」とかなんとか言っていた。COVID19の話もたまに出たけれど、「日本で件数増えてきたね。」「日本人入国禁止になるかもね」程度のものだった。
COVID19の検査に回る人は数人いたが、陽性は一件も出ていなかったのでわたしは大好きなNYの大きな中華街、Flushingにしばしば通っていて、同僚と「大通りに行くのはやめとけよ〜。怖くないのか?」「私は若いから大丈夫っしょ。陽性患者は出てないんだよ。今そこを避けるのはnot scientific!」なんて会話をしていたのを覚えている。3月上旬に感染経路不明者が次々報告された現状を踏まえると、NYCは完全にCOVID患者の初期感染者の把握に失敗していたわけで、同僚のアドバイスは正しかったかもしれない。

ニューヨークには二箇所、有名な中華街があって(FlushingとChina town)、誰もが「出るとしたら中華街からだろう」と思っていたと思う。

2/28にワシントン州でとうとう最初のCOVIDの死亡者が出て、「あ〜そのうちNYにも来るかもね」と呑気に話していた。

 

3/1

私たちにとっては意外なことに、NYのCOVIDの最初の患者さんは中国ではなくイランからの帰国者だった。とうとうきたか、とは思ったが、海外渡航歴があったせいかみんな落ち着いていたと思う。大学側も「手を洗いましょう」と連絡をしてきただけで、そこまで緊迫感はなかった。

 Cuomo知事は、準備は万全だ、と州民に安心するように呼びかけていた。

 

 

 

3/3

風向きが変わってきたのは3/3、Westchester(NYCから電車で数十分北側にある郊外エリア)に住む50代の男性の感染が発覚してからだ。この男性は感染経路が不明だった。さらに彼は電車で通勤していた。ここでようやく私はん?ちょっとまずいかもしれん。と思い始めた。
当然ラボでは「Westchesterって結構ここから近いじゃん。通ってる人いっぱいいるでしょ」「バスとかから感染が拡大しても不思議じゃないよね」などとこの話で持ちきりに。
翌日には、彼のご家族全員が感染していることがPCR検査で発覚し、学内全体がそわそわし始めた。何人かの同僚に「君は日本人だったよね?日本ではすでに感染者が出てるけど、これから何が起こると思う?」と聞かれた。私は「わからないけど、少なくとも日本ではまだそんなに大変なことは起きてないみたいだよ。クルーズ船以外はね」なんて言っていたのだ。

 

この時点でもまだ、クオモ知事のツイートから緊迫感は感じられない。

 

 

~3/7

3月3日に初めての経路感染不明者が発表された後、数日間でその家族とご近所さんにも感染が拡大していたことが発覚した(無症状の人含む)

そして、3月5日、NYC市内で2名、Nassau Countyで1名の入院患者がCOVID陽性であることが発覚する。彼らはいずれも感染経路が不明だった。おそらくこの時にはすでに、この街にCOVIDが広まっていたのだろう。それに、入院になる程症状が悪化するまでに感染が拡大していたことも予想される。

3/6(金)には、さらに11件のCOVID陽性患者が報告される。この時点で、クオモ知事は「NYは検査のキャパシティを増やしている。陽性患者の数が増えることは予想できたことである」として、まだ州民に冷静さを保つよう呼びかけていた。

この日初めて、大学から「大学が閉鎖された場合のcoverage planについて話し合うように」と連絡が来た。その報告を受けて、私は大学図書館に学外から有料科学雑誌にアクセスするための登録を行った。後になって思うと非常に良い判断だったと言わざるを得ない。

3/7にはNY州内のCOVID陽性件数は累積で76件、NY市内での件数は11件に登り、ここでAndrew  Cuomo州知事は非常事態宣言を出すことになる。

この週、私の周りの人たちは、「念のためロックダウンに備える。しかし感染が広がらないことを祈る。」という状態だったと記憶している。 

 

3/8~3/14

3/9(月)、大学から「20人を超えるミーティングをキャンセルするように」とのメールを受け取りこの週が始まった。私が出る予定だった週二回のセミナーはキャンセルに。定期的に行われる環境安全講習もキャンセルになった。
NY市民もざわざわし始め、NYのBill de Blasio市長のtweetへのリプライは「close the school!」で埋まっていた。私は呑気に「え〜、娘のデイケアしまったら仕事できないな困ったな」なんて思っていた。

私の周りの人たちは、「みんなoverreactingしてるよ」と考える楽観的なタイプと、「すぐにシャットダウンの準備をした方がいい」という悲観的なタイプに二極化し始めた。私は完全に前者で、シャットダウンの準備をし始めながらも「いやいや、ゆうて実験は続けるでしょ。震災の後でも実験してたんだぜ」と悠長に捉えていた。
学内では、「すぐにシャットダウンすべき」派の人と「われわれは責務を全うすべき。パニッキーな言動は控えろ」派の人の熱い議論が交わされたりしていた。

3/13、すでにPPE(感染防護具)が不足し始めている旨のメールを大学から受け取った。

娘のデイケア(保育園)はシャットダウンを考え始めたようで、「来週来るつもりか連絡をくれ」と電話があった。NYの市場が反応し、「bull market (堅調なマーケット) の終わり」という見出しが各紙に踊った。

3/14、NY州は初めて二人のコロナ関連死者を出し、感染者数は州内で累積613人にのぼった。

 

3/15~3/21

この週、NYの状況は著しく悪化していく。

3/15には、クオモ知事は「STAY HOME」というメッセージを強く打ち出し始める

まずは夫の仕事場が「担当者一人を決め、それ以外の人はラボに入っては行けない。その一人も1日1時間までしか仕事場にいられない」と言う措置を取ることを決めた。
その二日後、私の職場も「同じ部屋に人が複数人存在しないようにシフト制にするように」とのアドバイスを受けた。同僚と顔を合わせたのは3/18(水)が最後になった。

3/15には累積729人だった州内の感染者数は3/21時点で10,356を数え、先週末では2名だった死者数は58人に膨れ上がった。 Andrew  Cuomo知事はレストランをtake outオンリーにし、スポーツジム、カジノ、映画館を閉鎖することを決めた。

小学校の閉鎖も決まり、緊迫感が刻々と上がっていく。

 

スーパーからはパスタとパンと米が消え、日常生活にもCOVIDの影をはっきりと認識できるようになる。

3/18 午後2時、クオモ知事はnon-essential な職種の50%に自宅待機を命ずる。

 

そして午後10時には、それが75%にまで引き上げられた。これによりCOVIDに無関係な研究を行う研究者(私のような)はなるべく自宅に待機するべき、という空気感が形成されていく。

このパーセンテージは、21日には100%にまで引き上げられることとなる。

 

3/20には 理髪店やタトゥーショップ、ネイルサロンなどの閉店が決まる。

医療従事者の人出不足が深刻化。リタイアした医療従事者を募る知事のツイート。

 

知事は24日にも同様のツイートをしている。NYCの医療が逼迫していることが市民にも伝わり、ピリピリとした空気をニュースからも、ツイッターからも同僚とのtextからも感じる。

 

3/21 PPE、ventilatorを募る知事のツイート。PPE(個人防護具)とVentilator(人工呼吸器)が深刻な供給不足に陥っていた。私のラボからもプラスチックグローブを寄付した。

 

 

 

 

3/22~

土曜日、どうしてもしなければならない用があり、ラボに向かった。

街は閑散。電車の本数は減り、プラットフォームは閑散としていた。

 

3/23 クオモ知事、NYのコロナウイルス との戦いが9カ月に及ぶ可能性に言及。

 

同僚から「What's going to happen?」とメッセージがくる。NY民の不安はどんどん高まっていく。

 

3/25 医療関係の人出不足の深刻化を受け、NYUの卒業を三カ月早める措置。

 

 クオモ知事の悲痛なツイート

「僕の母は犠牲になるべきではないし、君の母親だって犠牲になるべきではない。僕たちは人の命を金で換算するべきではない。僕達は公衆衛生の問題解決戦略と共存可能な経済戦略を持っているはずだろ。株式市場のために誰かが犠牲になるような自然選択なんてあっていいはずがない」
「僕たちは1-2%のニューヨーカーを犠牲にするなんて嫌だ。そんなのは僕たちのあるべき姿じゃない。僕たちは僕たちが救える全ての命を守ってみせる。僕は諦めない」

 

 

 

3/26 ventilatorの不足が深刻化する。

 

3/27 NYC QUEENSの1病院で、24時間のうちに13人が死亡するという衝撃的なニュース。

edition.cnn.com

 

もはや室内に引きこもっている私たちはネットとテレビから情報を得るしかないのだが、それでも十分すぎるくらいに街の緊迫感が伝わってくる。テレビも、もはやスタジオ収録ではなくなり、各キャスターの家から?ビデオ越しの放送に切り替わっている。

 

私はこのあと、夫、娘とともに日本に一時的に帰国し、現在隔離生活を送っている。


4/1現在、NYSの累積死者数はCuomo知事の記者会見によれば1,941人。死者数は増加し続けており、NYSはまだ戦いを続けている。一刻も早く、このcrazyな状況が落ち着くことを祈っている。ニューヨークに住む大切な友人たちと、一人もかけることなく再開できることをひたすら祈っている。

 

日本がニューヨークのようにならないよう、祈っている。


今、日本でも東京などの大都市を中心に感染が急拡大している。
外来や救急診療を取りやめる病院も出始め、医療現場の逼迫した様子も伝わってくる。


NYから帰国した身としては、いまだに室内に入って食べるタイプの飲食店が開いているのが結構衝撃である。
逆にスーパーなどできちんと一個一個包装されたお野菜なんかには「日本だ〜」と安心感を覚える。(アメリカではお野菜や果物はむき出しで売られていて、品定のために手でベタベタ触る人が多い。とても気になっていた。)

私は医者じゃないので、レストランなどがどの程度感染に寄与しているのかは論じられないが、感染症を防ぐにはとにかく人と会わないことが大事だ。それは正しいはずだ。
私たちが家にいれば、人と会う回数を減らせば、誰かを感染させてしまうリスクはそれだけ下がる。
それが、最前線で戦わなくてはならないお医者さんたちや物流を支える人、スーパーや薬局で働く人たちの感染のリスクを下げることにつながる。ぼっちになろう。それが、今、人命を救うのに大切なことなのだ。

長い戦いになるかもしれない。でも、みんな一人じゃない。一人一人が、この戦いの主人公なのだ。STAY HOME. SAVE LIVES.