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つなぽんのブログ

生物学者♀のたまごつなぽんのポスドク日記。

私が学内カウンセリングに行った時の話 〜自分と他人の境界線〜

前回のエントリで学内カウンセリングに触れて、

学内カウンセリングを有効に使おう、とアドバイスした。

 

tsunapon.hatenablog.com

 

あの記事に対して、

「話を聞いてくれるだけで意味を感じなかった」といったコメントが散見されて、

私は正直、「なるほど、そう思う人が居るのも納得。でももったいない」と思った。

カウンセリングは今の日本に浸透しているとはいえないので、

カウンセリングを施す側と受ける側にミスマッチが生じているのかな、と思う。

 

私は臨床心理士の資格を持っていないし、心理学やカウンセリングに精通しているわけではないけれど、

自分がカウンセリングを受けたり調べたりしたので、ここにすこし書き残しておこうと思う。

 

カウンセリングって、即物的な答えを求めに行くところではないんじゃないかな。

カウンセリングはだれかの考えに同意したり、アドバイスしたり、解決策を示したりはしてくれない(…と思う)。

あなたはこうあるべき、人間とはこうあるべき、みたいなことも言わない。

ただ、貴方自身が自分をどう受け止めているかっていうのを探すところなんじゃないかなー、と思っている。

 

だから、もしあなたが彼氏と喧嘩して、別れようかどうしようか、って思っている時に、

「うっそー、その彼氏ひどいね!別れちゃいなよ!」とか、「3ヶ月後に運命の人が現れるでしょう」とか、「今ある幸せを大切にしなさい」とか、

そういう答えを求めているんだったら完全にミスマッチだ。

友達とか占い師に聞いてもらうと良い。

ただ、彼と自分との関係を見つめなおすとか、彼と自分の関係が対等であったかとか、

自分と彼は依存しあっていたかとか、自分が彼に対してどういう不満を抱いていたかとかを真剣にあぶり出そうと思うなら、

もしかしたら役に立ってくれるかもしれない。

 

私はカウンセリングを受けて、自分の中に紛れ込んでいる他人を発見した。

他人のものだと思っていたものが自分のものだったり、

自分のものだと思っていたものが他人のものだったりしたことを発見した。

私はあるときはひどく客観的で、またある時はひどく主観的だったことを発見した。

そして、他人と自分との間に正しい境界線を引くことで、

気持ちが楽になることを体験した。

これって、研究するにしても仕事をするにしても、健康な心を維持するために、結構役に立つんじゃないかと思っている。

 

もし、学内カウンセリングに興味をもったひとがいるのなら、

かなり長いのだけど、私が学内カウンセリングを受けた時の話を書いてみたので読んでみて欲しい。

少なくとも私の時はこんな感じだったよ、っていうのが分かってもらえると良いのだけど。

(こういう話、守秘義務があるのでカウンセラー側からは出てこないはずだ。)

 

 

 

夜眠れなくなってしまった時の話

博士課程1年目の5月のはじめ頃だったかな。わたしはかなり参っていた。

いろんなことが同時に起きて、頭がぐちゃぐちゃになってた。

いくつかその主だったものを挙げてみると、

 

1)4月に元カレと別れて、その執着を捨てきれずに居た

別れた理由は遠距離で次第に性格が合わなくなっていったという

まぁありがちなものだったんだけど、

別れたてで5月の時点ではまだ全然気持ちに整理がついていなかったのだ。

私の行動次第では、復縁ワンチャンあるんじゃないかとおもって虚しい努力を重ねていた。

 

2)ラボの同期に告白されてお断りしたら彼が不登校になった

同期の子に告白された。非常にありがたかったが、

私は彼とは性格が合わない気がして、それでお断りしたのだ。

だが彼は次の日からひどく落ち込んでしまった。

そしてしばらくして彼は学校に来なくなった。

彼は私なんかよりずっと器用で、ずっと頭の回転が早くて、ずっとたくさんの論文を読んでいたから、たぶん研究室の誰に聞いたって、彼のほうが私よりも研究者として優れていると思っただろう。

無能な私が彼と付き合わなかったばかりに、優秀な彼の心が壊れてしまった、

こんなことなら自分の心を偽って彼と付き合ったほうがこのラボのためには良かったのに。

いっそ今からでも付きあおうか、そしたら全部解決するんじゃないか。

いやでもやっぱり怖いな。

当時は本当にそんなことを思っていた。

 

3)この時期、母との関係が急激にしんどくなっていた

私にとってはこれが一番つらかった。

一人暮らしを始めて1年くらい経っていたのだが、

母から頻繁に電話がかかってくるのだ。

「ねぇ、次はいつ帰ってくる?」

「そっちに遊びに行っても良い?」

「食事でもしない?」

「パパがひどいんだよ。あのね。。。」

「おねえちゃんがこんなこと言ったの。ひどいでしょ?」

「つなぽんはどう思う?」

下宿先から実家まで1時間くらいと近距離だったのも良くなかったのだ。

母は暇を見つけては私に会おうとしていた。

父と母はもともとあまり仲が良くなくて、

実家に居た時に私が母の愚痴の聞き役になっていた。

一人暮らしを始めても、いや、私が出て行ったからこそ母は寂しかったんだろう。

私は研究に集中したくて一人暮らしを始めたのに、

母は頻繁に私に帰ってきて欲しがった。

しかし実際問題、その時の私はすごく忙しくて、実家に帰る時間があるなら実験をしていたかった。

「ごめん。今は帰れないよ。時間が無いんだ。」

というと、母はすごく悲しそうな感じだった。電話越しに。

そして、断るたびに私は、「あぁ、また母を悲しませてしまった。私はなんて親不孝なんだろう」

と、思った。

 

4)学振の申請書類

そこに、学振の申請書類を書くというタスクもあった。

申請書を書くには、自分の研究を客観的に見る作業がどうしても必要だ。

私は自分の研究を客観的に見れば見るほど、自分の研究がいかに進んでいなくて、

いかに私が研究者として無能かを思い知らされるような気がした。

 

 

そして5月の始め、とうとう私は眠れなくなってしまった。

いや、眠れはするのだが、すぐ起きてしまってその後全然眠れないのだ。

いわゆる早朝覚醒というやつだ。

私は冴え渡った頭でもんもんとしながら布団にくるまり、目をつぶって眠りがやってくるのを待った。でもそれは結局やってこなくて、2時間くらいしか寝れないまま学校に行って学振を書いた。

 

日中のパフォーマンスは最悪だった。

いつも以上に手が止まって、考えもまとまらない。

昨日寝れなかったんだから今日は寝なくては。そう思ったけれども、

次の日もやはり2時間ほどで目が覚めた。

明らかに自分の頭が悪くなっていることを自覚した。

絶対何かおかしいと思った。

 

それで私は、大学の学生相談室のウェブサイトから電話番号を調べ、

学生相談室に予約を入れたのだ。

 

私の精神状態は大して深刻ではなかったけど、相談室に行ってよかったと思う

実は私が相談室に予約を入れた時、私は

「うーん、相談室混み合ってるだろうし、私みたいなあんまり深刻じゃない人が相談室なんか行って大丈夫なんかな?迷惑なんじゃないかな?」

と思っていた。

 

今思い返しても、そこまで深刻な精神状態だったかと言われると疑問だ。

実験ノートを見返しても、至って普通だ。

考えをまとめるのに時間はかかったけど、おかしな考察をしている様子は見受けられない。

多分あのままほっといても私はうつ病にはなってなかったのではないかと思ったりもする。

でも、それでも、あのとき学生相談室に行ったのは正解だったと、心から思っている。自分は随分生きやすくなった。

そして私は、学生相談室は心を病んでいる人のためだけにあるんじゃない、ということをこの記事で強く主張したい。

別に心がほぼ健康な人に対しても、相談室は多分開かれているよ、と。

 

不安なことがあったら、「私なんかが行っちゃまずいんじゃ…」とか思わずに、

相談室は積極的に利用したら良いんじゃないの?というのが私の意見だ。

病んでるからじゃなくて、自分の心を整理できるから、私は相談室をおすすめする。

なんてったってタダだしね。

 

なお、ほんとうにうつ病を発症して、自殺を考えて思いとどまってから相談室に行った後輩は、

二言三言カウンセラーさんと話してそしてそのまま保健センター精神科に連れて行かれたらしい。

本当に病的なまでに鬱症状が進行してしまった人は、相談室ではなく精神科にかかるべきだということだろう。

(この話をきいてはじめて相談室と精神科が連携していることを知ったのだけど、どこの大学でもそうなのかな?)

 

 

 

初めてのカウンセリング

予約した時間に相談室の扉を叩いた。

相談室には共通スペースがあって、本などが置いてあった。

カウンセラーさんが一人ずつ学生さんを呼びに来て、別室で一対一で話をするスタイルだった。

 

個室に入るとテーブルと椅子が4個。好きなところに座るように促されて、

適当に扉に一番近いところに座ったのを覚えている。多分ここが一番下座だろう。。。とか思いながら。

 

その日は、ただただ一方的に私が話す展開だった。

私が後輩を振ったら後輩が来なくなってしまったことや、

母からの連絡がしんどいこと。

彼氏と別れたこととか。

カウンセラーさんはほぼ聞いているだけだった。

もしかしたらちょくちょく質問されたかもしれないけど、余り覚えていない。

そして時間が来た。

 

カウンセラーさんは一言

「どうされますか?また来ますか?」と聞いた。

 

私は

「カウンセラーさんは、私がまた来たほうが良いと思いますか?」

と尋ねた。

 

カウンセラーさんは

「それは、あなたが決めてください」と。

 

「それは、もうこなくてもいいという意味ですか?」

と聞くと、

「あなたが必要だと思えば来てください。私は協力します。来なくてもいいと思うなら来なくても大丈夫です。あなたが決めるのです」

と答えた。

 

ボールは完全に私の手の中にあった。私の行動を決めるのは自分だった。

私には自分の行動を決める自由があって、それが私にはひどく居心地が悪かった。

だから、次の予約を入れた。

「来週、また来ます」

 

1週間の間に1冊の本に出会った

一週間は結構長い。私はカウンセリングのときに感じたモヤモヤとか、

母と話している時に感じるもやもやとか、何なんだろうと思ってネットで調べていた。

そして、アダルトチルドレンという言葉を知った。

アダルトチルドレン - Wikipedia

全てではないけど、見捨てられ不安とか、自己肯定感の低さとか、自分の意見のなさとか、孤独感とか、そういう、うまく今まで言語化できなかったけど自分の中にあったもの、そして自分が必死に周りに見えないように取り繕っていたものが、確かにそこに書いてあった。

それから、私は他人をコントロールできると思っていた。あと、自分に近しい人の幸せは、私の行動で決まっていると思っていた。でも、その感情事態が共依存の人によく見られるものだと書いてあった。

私はそれで、親と子の関係について記述されている一冊の本を買った。それがスーザン・フォワード著「毒になる親」だ。

 

この本に書かれている内容は、かなり極端な例だと思う。

私の母はアル中ではないし私は虐待されていたわけでもなくて、

だから私は、いわゆるアダルトチルドレンのプロファイリングにピッタリ当てはまる人物像では無いのだけれど、

でもその本に出てくるアダルトチルドレンが抱える生きづらさには、

私と共通するものがいくつも散見された。

そして私は、その本をすんなりと読み進められず、ほんとうに時間をかけて、ちょっとずつちょっとずつ読んでいった。

 

カウンセリング、二回目以降。自分を見つけるための行程

二回目のカウンセリング。

私は席に通されたあと、カウンセラーさんの言葉を待った。

きょうは何を話すんだろう?

 

するとカウンセラーさんが

「今日は何を話しますか?」

と。あ、それ決めるの私なのか。と思った。

 

私は、迷ったけどとりあえず母との話をした。

母から電話がかかってくるのが嫌だとか。

母が私にプレゼントをくれるのが嫌だとか。そういう話。

 

一つ一つのエピソードに対して、

「その時、なんて言ったの?」とか、「お母さんの反応は?」とか、

結構具体的に聞かれる。私も具体的に話す。

でも、私は、「その時、あなたはどう思いましたか?」という質問に対しては、一度も明確な回答を返すことができなかった。

 

 

例を挙げてみるとこんな感じだ。

私「母から電話がかかってくるのが、何か嫌なんです」

カ「どんなことを話すの?」

私「会いたいとか、家に帰ってこないかと言われることもあるし、そうでない時もある」

カ「いつも嫌なんですか?」

私「はい、だいたい嫌です。」

カ「なんでですか?」

私「…わかりません。……でも、断ると、母が悲しむだろうと思います」

カ「断るとき、あなたの気持ちはどうなんですか?怒りですか?悲しみですか?」

私「…………」(気持ち?気持ちってなんだ?)

カ「じゃぁ、その感情はネガティブですか?ポジティブですか?」

私「…………わかりません…けど、どちらかというと…ねがてぃぶかな」

 

一時が万事これだ。相手が母じゃなくて後輩君でもこれだ。

相手が嬉しいだろうとか、悲しいだろうとか、そういう感想は抱いているのに、

その時自分がどういう感情だったのかというのはまったく思い出せなかった。

多分、これは実際に自覚したことのある人じゃないとわからないんじゃないかと思うんだけど、自分の感情がわからないのだ。すごく不安な感じだ。

 

そこからは何回も、週一で3ヶ月くらいカウンセリングに通っただろうか。

あんまし覚えていないけど。

家族構成とか、昔のエピソードとか、いろいろ、カウンセラーさんとお話した。

たまに、私が感情を覚えているエピソードに行き当たることもあった。

(ここに書ける話ではないので具体的なエピソードは省略)

母や父やその他の親族に対してすごく私は怒りを覚えていたり、悲しみを感じたエピソードだったり。

怒りに任せて泣いたり、すごく悲しくなって泣いたり。泣くとちょっとすっきりする気がした。

 

後は本を読んだり、ネットで色々検索したりして、

だんだん、気持ちに整理がついてきた。

 

自分が自分の責任だと思っていたものは、意外と他人の責任だったのかもしれない、とか。

私が他人の感情だと思っていたものは、自分の感情だったのかもしれない、とか。

そんなことを思うようになった。

私は、他人と自分との区別が、ついていなかったんだなって。

それで、他人と自分との境界をすごく意識するようになった。

それでだいぶ、生きるのが楽になった。

 

それで、3ヶ月くらいして、まぁ研究が忙しくなったのもあって、カウンセリングに行くのをやめた。もちろん、自分の意志でね。

 

カウンセラーはプロフェッショナルだ

私は本とネットとカウンセリングを使って、自分の気持ちを整理していったわけだけど、

多分、どちらか一方だけではここまですっきりはしなかったんじゃないかな、と思っている。

特に、過去の自分を思い出して、感情を拾い上げていく部分は、自分一人だとなしとげられなかっただろうな、と思う。

カウンセラーさんは、私がどんな話をしても、

「辛かったね」「頑張ったね」とか、

「わかるわかる~」とか言わなかった。

表情にも出さなかった。

カウンセラーさんは、私に対して好意も敵意も持たずに、ただ必要な質問をして、それを真剣に聞いてくれた。

そのおかげで私は、「カウンセラーさんが私をどう思っているだろうか?」ということを考えずに自分の考えを口にだすことができた。

私は、「これを言ったらカウンセラーさんが喜ぶだろう/悲しむだろう」みたいなことは一切感じずにカウンセリングを受けられたと思う。そしてそれが私のカウンセリングに取っては必要だったのだろう。ニュートラルな私自身を理解するためには。

彼らはプロフェッショナルだった。

私のこころを掬い上げてくれたカウンセラーさんに、私はこころから感謝している。

 

今の後輩と母とそれから私の話

まず、驚くかもしれないが、後輩君と私はいま、同じ研究室で研究している。

後輩君は一年ほど学校を休んで治療した後、復帰して、研究に取り組んでいる。

今は私とは事務的な会話しかかわさないので、

かれがどのようなプロセスを経てつらい時期を克服したのか、私にはわからないけれど。

 

次に母の話。

親との関係というのはとても複雑だ。私は未だに母との関係を克服できていない。

私は未だに、母の言葉にとても敏感だ。母の言葉で私の感情がひどく波打つのを感じる。

でも、そんな時、自分のテリトリーに母が入ってきているのだということを意識することで、

ある程度自分の感情をコントロールすることができるようにはなった。

そして、私が背負いすぎた母の荷物をすこし、下ろすことができた。

 

私はカウンセリングを受けたあと一時期すごく母のことを恨んでいたし、

なんで母はもっと完璧な人でなかったのだろう、と失望したりもしたのだけど、

多分、そう思う事自体が、自分の存在が母に依存していることの証左なのだろうと思うようになった。

今、母に対して怒りの感情があるかというと、そんなことは無いと思う。

完璧な親は居ないし、自分の親はそこまで悪くはなかったと思う。

ただ、性格が絶望的に私と合わなかっただけだ。

 

多分、私が母への依存を完全に断ち切ることは難しい。

でも、どうにかこのまま生きていける、このままでもそこまで生活に支障はない、

それくらいには自分を取り戻したと思っている。

不完全な母や不完全な自分も、今は愛せている自分が居る。

未だに自由に不自由さを感じるけれども、折り合いはつけることができる。人はみんな、完璧ではないのだ。

 

突然のアフィリエイト

最後に、本を二冊紹介したいと思う。

「毒になる親」と「不幸にする親」。二冊とも良書だ。

 

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 

 

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

 

 

たぶん、この本に登場するような典型的な猛毒親のもとで育った人は稀だとは思うけれど、

ちょっとした機能不全家族に晒されていた人の中には、

似たような生きづらさを感じてしまっているひともいるんじゃないかな?

私みたいに。

 

そんな人にとって、学生相談室はきっと役に立つ。

思春期を終えて、自分というものが確立してきた学生時代に、

一度、自分を整理してもやもやとした生きづらさを解決してみるのはいかがだろうか?

 

 

おわり

 

P.S. なお、本ばかりに頼るのはあまりおすすめしない。

結構内容が極端な気がするし、人の数だけ答えがある。本ではそれに対応するのは難しいから。

あと、ほんとうに苦しんでいる人にとっては、本を読み進めること自体、結構苦しいと思う。

 

更に追記
有名ブロガーの斗比主閲子さんが、タイムリーに自己肯定感についての記事を書かれていましたのでよろしければ合わせてどうぞ。

topisyu.hatenablog.com