読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

つなぽんのブログ

生物学者♀のたまごつなぽんのポスドク日記。

子供っていつ産めば良いのよ?

京都の高校で、妊娠した女子生徒に対して
体育の実技の補講を強要したり、休学を勧めたという事案が発生して、

今、世間を賑わせている。

妊娠生徒に体育実技要求 京都の高校に批判殺到、対応見直しへ : 京都新聞

 

私はこういう教育事情に詳しくないし、実際にその生徒さんがどういう人物像で、

学校側の対応が実際にはどうだったのか、詳しくわからないから、

この件についてどうこう言うのはやめとく。

 

でも、アラサーになってみて、自分が学生の時に感じていた「妊娠」へのイメージと、

現在の私の「妊娠」へのイメージが凄く変わったので、

ここに記しておこうかなぁ、と思ってこの記事を書くことにしたよ。

 

私が高校生の時は妊娠=不良だと思っていた

私は女子校だったんだよね。小学校から高校まで12年間。
そのせいか、付き合っているクラスメイトってそんなに多くなかった。

私ももちろん彼氏は居なかったし、彼氏持ちの同級生に対してちょっと、

軽蔑してたところはあるな。「勉強もしないで男と遊んでるなんて」って。

まぁ視野が狭かったんだけど、言い訳をさせてもらうと、

なんとなく学校全体に、「彼氏持ちの生徒はチャラい」っていう認識があったんだよね。

 

ましてや、彼氏とホテル行ってる、なんていう話を聞いた日には、もうそれは完全に私の中でその人は不良だったよ。うん。

「子供出来たらどーすんの?絶対に育てられないでしょ」って。

「勉強もしないで男とホテル行ってるなんて、避妊してても信じられん」
って思っていたわけさ。

でも、今思うとさ。大人になったって、夫婦だけで子供育てるのってすごく難しいことなんだよね。別に高校生とかアラサーとか、そんなの関係ないんじゃないかって、今は思うよね。

 

大学に入って自分にも彼氏ができたら、普通にそういう流れに。。。

大学は受験して、共学の大学に進んだんだよ、私。

で、普通に彼氏を作って。何か周りのカップルもそういう感じだったし、

普通に彼氏とホテル行ったりとかしてたよね。

周りに流されやすいタイプなんだ、私。

 

でもおかしいよね、高校生の時に真顔で「学生の本分は勉学です」って思ってた私がだよ?大学生になった途端に彼氏を作ってチャラチャラホテルなんかに行ってるの。

高校生も大学生も学生なんだから、立場は変わらないはずなのにさ。

ひどい手のひら返しよ、今考えると。

 

まぁ別れたり、新しく恋を始めたり、泣いたり、笑ったり、

ゆーすふるでいずが詰まった大学生活を送っていたよね。

そこから学ぶこともたくさんあったよ。本当に。いろんな男の人がいるな〜って。

 

でもやっぱり、妊娠は別格だったね。なんか「それはだめだろ」って思ってたよね。

クラスメイトに妊娠したカップルがいたんだけど、

私は「え〜おめでとう!よかったね〜」とか口では言ってたけどさ。

「まじかよちゃんと避妊しろよ、これから就職すんの大変じゃん?」

って余計なおせっかいを腹の中では焼いてたよね。口には出さなかったけど。

(ちなみにこの夫婦、ご両親に祝福してもらって、おふたりとも立派に働きながら子育てしてらっしゃいます。あの時は心から祝えなくてごめんよ。)

 

アラサーになっても妊娠のタイミングってつかめない…

私はもうアラサーなんですけどね?

もう、世間一般では「結婚しないの?」とか「子供生まないの?」って言われる年代に入ってきたのですよ。実際けっこんまだ?とかはよく聞かれるんですよ。

でもね、この年令になっても、まだ、

人に後ろ指を刺されずに、文句も言われずに、

心から「妊娠おめでとう!」って祝福して貰えそうな妊娠のタイミングって、

ほんとうに1秒たりともなかったと思うんだよね。

自分の人生を振り返ってみると。

で、多分これからも無いと思う。

 

すごいホワイト企業で、育休制度が万全で、休んでいる間誰かが代わりに仕事をしてくれる、引き継ぎさえしておけば業務に差し障りなく育休に入れる、

そんな会社の社員なら、それは堂々と妊娠できるんだろうけど、

みんながみんな、そんな企業に入っているわけじゃないよね?

 

私もボスから、「妊娠とかそんな無責任なことは論文出すまで考えるなよ」と言われましてですね…。でも、就活のタイミングとか考えていると大手を振って妊娠できるタイミングとか無いんだよね。

正直、高校生よりも社会人のほうが背負っている責任って大きいんじゃないかと思うわけさ。

だから、社会人の妊娠に比べて、高校生の妊娠のほうが無責任だ、なんて、いまの社会で誰が言えるんだろうって、すごく思っているんだよね。

 

実際アラサーでも周りの手を借りなきゃ子育てなんかできないよね

高校生で妊娠したカップルに対して、

「自分で面倒も見れないのに安易なことをして子供ができちゃった」

みたいなことをいう人いるけどさ。。。。

あのね、今アラサーの私が言うね?

「別にアラサーでも周りの手を借りなきゃ子育てなんて出来ねーわ」

いや、異論がある人もいると思う。私たちは二人だけで立派に子育てしてます、って人いると思うよ。

でもね、私には無理だ。

今、この瞬間に妊娠したとしたら、私は彼か私かどちらかの親を頼らないかぎり、子供を育てられない。

周りの研究者夫婦を見ていても、祖父母の手を借りている人がほとんどだ。

高校生じゃないアラサーの立派なおばさんが、自分の父母の手を借り無いと子育てできないのに、どの面下げて高校生の妊娠を批判できるんだろうか?

私には無理だ。

 

妊娠したら、心からおめでとうって言ってもらいたい

今、妊娠を望む女性にとっては結構窮屈なんじゃないかな、と思っている。

少なくとも、私は、自分がいつ、妊娠したら良いのか、

今でも皆目検討がつかない。

キャリアも、子供も欲しいと思うのって、贅沢なことなんだろうか?

これが一般的にならないと、女性の社会進出ってなかなか難しいと思うのだけど。

 

結局、今のシステムだと、妊娠に最適なタイミングなんてなかなか訪れない。

訪れた時には子供ができなくなっているかも知れないし。

だから、高校生だー大学生だー社会人一年目だーって、批判の的にされるのを恐れていたら、ずっと子供なんて作れないと思うんだよね。

だから、無責任って言われようと、子供を作っちゃう覚悟みたいなものが

求められているんじゃないかなーと思うんだ。

 

でもね、それでも、やっぱり私、

妊娠したら、みんなに心から「おめでとう」って言ってもらいたいなぁって言う気持ちも、

まだ捨てきれずにいるんだよね。

早くそういう社会になってくれると良いのだけどな。

 

 

おわり。

体験型ワークショップと科学実験キット、百科図鑑でサイエンスをもっと身近に!

こんばんは、つなぽんです。

今日、こんな記事を見つけました。

www.hahalife0.com

 

イメトモさんという方が、2人のダンスィとの日常を楽しく描いていらっしゃるブログで、私もかなり楽しませていただいているんですが、今日の記事は、科学の体験授業についてでした!

5歳になる長男君が、ロボット教室に体験入学したお話だったんです。

 

へぇ〜、楽しそう!って思って読んでいたのですが、

結局、3歳の次男くんがお留守番になってしまうのと予算的なことを考慮して、入会を諦められたとのこと。

う〜ん、残念!

 

年齢的には未就学児の科学体験は難しいけど、予算的にはリーズナブルに科学を楽しめるよ!って言うことを、今回はご紹介したいと思います。

 

夏はイベント盛りだくさん!博物館の体験型ワークショップ

実は、博物館で行われる体験型イベントが、多数開催されるのがこの夏休み!

先日もこんなツイートが流れてきましたよ!

 なんと!我々でも四苦八苦しているあのマイクロインジェクションを体験できるそうです!(2016年 8/7 日 日本科学未来館)

特にお台場の日本科学未来館さんは、大学と連携した体験学習に力を入れているイメージですが、こういった体験型のワークショップが各地で開かれるのが夏休みなんですよー!

(なお、つなぽんはこのツイートを見かけただけの人なので、この体験学習に行ってもつなぽんには会えませんよ!でも、数年前に、未来館さんのワークショップのお手伝いをさせてもらいました!研究者は、皆さんに楽しんでもらえるように念入りに準備しておりますですよ!)

 

しかし、多くの体験学習って対象年齢が小学生以上なんですよね…。

なぜなら、科学の実験って、ガラス器具を使ったり、小さな部品を扱ったりして、小さいお子さんを対象にするとどうしても危険がつきまとってしまうのです…。

 

博物館の体験コーナーも、要予約のものは小学生以上を対象にしている場合が多いのではないかと思います。すると必然的に、展示内容も小学生を対象にしたものになっちゃいます。う〜ん、難しい!

それでも、誰でも参加できるワークショップを開いている博物館もあるので、ぜひ調べてみてくださいね!よく年齢制限を確認してから申し込んでもらえればと思います!

そして、博物館や科学館で、「すごい!不思議!」を、たくさん体験してもらえたらな〜!と思います。

 

いろいろあるぞ!科学実験キット!

私は、じつは学研さんの雑誌、「科学」が大好きでした。

小学1年生の頃から親にとってもらっていて、「科学」が来たら、ふろくを開けてせっせといろいろ作ったり、カブトガニ飼育セットを使ってカブトガニ全滅させたりとか。。。

とにかくいろんな科学実験キットを通して楽しんでました!

が、

以前よっぴーさんが記事にされていたのですが、

学研さんの「科学と学習」は、既に廃刊になってしまっているのです。(泣)

haken.inte.co.jp

 

しかし、学研さん、今でも子供向けの実験キットを多数取り扱ってらっしゃるんですよ! しかもガイドブック付き!

よくわかるガイドブックつき科学キット 科学と学習presents|学研サイエンスキッズ

ウェブサイトを見ながら、不覚にも子供の頃読んだ「科学」の記憶が蘇ってきてうるうるしちゃいました…。

 

たとえば、観察系の、部品の大きな実験キットなら、未就学児のお子様でも問題なく扱えるのでは無いか?と思ってみていました。

(私、子供が居ないので完全に想像なんですが…。)

夏休みの自由研究に最適!アリのす観察キット|学研サイエンスキッズ

これはちいさな部品はなさそう…。

 

でも、男の子が好きそうな電子回路系や工作系の実験キットになると、どうしても細かい部品が沢山入ってきてしまうのですよね。

小さいお子さんに、誤飲の危険のある部品を扱うことはメーカーは勧められません。あと、行程が多かったりすると、作るのが面倒になってしまって最後までできなくてがっかりさせてしまうかも…。

ちょっとネットの海を探索してみたのですが、未就学児向けの工作キットは見つかりませんでした。。。

これとか

科学工作組立キット 電流ドキドキゲーム組立キット

科学工作組立キット 電流ドキドキゲーム組立キット

 

 

科学脳電気ピカピカ

科学脳電気ピカピカ

 

壁づたいメカ工作セット (てんとう虫) なんかも

なかなか面白そうなんですが…。部品が多いし細かそうだよなぁ。

東急ハンズなんかでも科学工作キットは取り扱っているので、ぜひぜひお店に足を運んでもらって、お子さんの年齢にあった科学工作キットを選んでもらえれば、と思います。

 

百科図鑑は知識の宝庫

小さい部品を扱えないお子さんでも、本なら安心して読ませられますよね! 

昆虫図鑑や恐竜図鑑、動物図鑑は持っていらっしゃるご家庭も多いかもしれませんが、私は、

子供向けの百科図鑑をおすすめしたいです。

私が子供の頃すごく好きだったのがこちら。

21世紀こども百科 (World watch)

21世紀こども百科 (World watch)

 

 小学館の21世紀こども百科。上のは第一版で、まさに私が小さい頃に読んでたやつですね。懐かしい!図がたくさんあって、文がなくても楽しめました。
流石に情報が古いと思うので、最新版をおすすめします。

21世紀こども百科(全1巻) 〔第2版 増補版〕 (World watch)

21世紀こども百科(全1巻) 〔第2版 増補版〕 (World watch)

 

 他にも、子供向けの百科図鑑はたくさんあると思うので、見比べて選んでみてください!科学に限らず、いろいろな情報が図付きで載っているんです。まさに子供向けの百科事典です。

 

 

「楽しい!」を大切に

最後に、ちょっと差し出がましいとは思うのですが少しだけ…。

私はアウトリーチ活動 (研究を社会に伝える活動) に何回か携わらせて頂いているのですが、

子供って、本当に私達科学者が全然不思議に思っていなかったこととかを、

「ねぇ、どうして〇〇なの?」と聞いてきます。

私は何度も子供の質問にはっとさせられました。なんで今まで自分は、これを疑問に思っていなかったんだろうって。

子供って本当に、柔軟な頭を持っているんですよね。

それで、たまに教育熱心な親御さんが、

「ちょっと△△ちゃん、何ばかみたいな事きいてるの〜?」

って子供に言ってしまうのですよ。

あの、全然バカみたいじゃないんです。当たり前だと思っていたことに疑問を持つって、すごく大事で、尊いことなんです。

私は子供が居なくて、まだ子育てとか全然良くわからないんで、こんなこと言うのはおこがましいってわかっているのですけど、

ぜひ、お子さんの感じた不思議を、親御さんも一緒に伸ばしていってあげてほしいなぁって思うんです。

 

科学館や実験キットは、学校の授業じゃありません。

「この展示からはこれを学ぼう」とか、

「このキットはこういうことを学ぶために作られているんだ」とか、

そんな難しいことは考えないで、

大人も子供も、純粋に「不思議」「なぜ?」を楽しんでほしいです。

 

 

 

読み返したら、私の思い出話が半分くらい占めてますね、すみません…。

今夏はわたし、アウトリーチの予定は入っていないのですが、

ぜひ、いろんなイベントに参加してみてくださいね〜!

 

おわり。

専門知識と消費者判断の話 ~DNAを含まない食品?~

ツイッターのアンケート機能、面白いですよね。

私は今まで使ったことがなかったのですが、少し面白い話を聞いたので、

確かめたくなって、昨日から今日(2016年5/30日 午前3:00頃〜6/1 午前3:00頃)にかけて、フォロワーさんの協力を得てアンケートをさせていただきました。

 

質問① 原材料に遺伝子組換え生物を含む食品には、きちんとその旨を明記して欲しいですか?

 

質問② 原材料にDNAを含む食品には、きちんとその旨を明記してほしいですか?

 

 

投票期間は24時間に設定しました。

どんな結果になるでしょうか?わくわくしながら待っていたら…

 

結果はこのようになりました。

 

f:id:tsunapon:20160601033629p:plainf:id:tsunapon:20160601033726p:plain

 

 

 

 

なななんと!24時間で1000人以上の、延べ2000人以上もの方がこのアンケートに参加してくださいました!投票してくれた方、RTしてくれた方、本当に有難うございました!

 

私の2つの質問に混乱した方も多かったようです。特に、質問②のDNAの表示に関する質問は、???マークが浮かんでいる人もかなり散見されました。

質問②だけRTされた方も居て、一層混乱を助長してしまったようです。

うーむ、、、ツイッターアンケートの運用難しい。

 

DNAを含む食品、含まない食品

質問②の質問は、混乱するのもわかります。DNAが入っている食品?え?って。

実は「え、質問①と②の内容、同じじゃないの?」というコメントとともにRTしてくださった方もいらっしゃいました。

ので、少し解説をしたいと思います。

 

DNAを含む食品にはどんなものがあって、DNAを含まない食品にはどんなものがあるでしょう?

 

DNAを含む食品には、以下の様なものがあります。

f:id:tsunapon:20160531051246j:plainf:id:tsunapon:20160531051256j:plainf:id:tsunapon:20160531051250j:plain

フリー写真ぱくたそさんからお借りしました。

野菜や肉、魚、果物、米やコムギなんかにもDNAは含まれていますね。

 

え!それって、つまり食品の全部じゃん!!

そうです。

動物は、他の生き物を食べないと生きていけません。

ベジタリアンだろうがなんだろうが、動物である限り、肉や野菜などのほかの生き物を食べて生きているんです。

そして、生き物には、例外なくDNAが含まれています。

DNAがないと、生き物は、体の材料となっているタンパク質を作れないし、体のメンテナンスもできません。私達を含むいきものの体は、「細胞」というブロックが集まって作られているのですが、そのブロックの一個一個にDNAが入っているんですよ!動物だけじゃなくて、植物も同じです。だから、食品にDNAが入っているのは当然のことなんです。

 

DNAが含まれていないわけじゃないけど、すごく少ないだろうと思うのは、

塩や砂糖、味の素などです。それから植物油やバターなどの脂肪酸。私の嫌いな人工甘味料にもDNAは含まれていないですね。あとは色素とか水。これら、細胞を持っていない化学物質たちはDNAを含みません。

DNAの含有量が少なそうな食品として私がぱっと思いつくのはこれくらいかな〜。

 いずれにせよ、普通の食品に使用されている調味料は生物から抽出されている場合が多いと思うので、大体の食品にDNAは入っていると思います。あと、絶対何かしらの雑菌は少数ながらついてます。DNAを口に入れずに食べ物を食べるのは不可能かと思います。

 

というわけで、食品にラベルするまでもなく、あまねく食品にDNAは入っているんです。わかっている人には何この質問?って感じだったと思います。混乱させてすみません。

 

寄せられたコメント達

参考までに、RTとともにコメントされた内容を見てみましょう。*1

「は?DNAを含まない食品って何??」
「この人、高校の生物の教科書読みなおしたほうが良いんじゃない?」

「え、生き物って細胞でできてて、細胞の中に核があって核の中にDNAがあるんだと思ってたけど違うの?」

DHA*2の間違いか?」

 

はい、仰るとおり。仰るとおりなんだけど…!!アンケート終わってからつぶやいて欲しかったな。。。

一方でこんなコメントも見受けられました。

遺伝子組み換え食品は健康に悪そうだけど、DNAは健康に良さそう」

「DNAは頭が良くなりそう」

こちらはサンプル数がかなり少なかったのですが、DNAに対して好印象を抱いているようです。健康効果がよく取り沙汰されている DHAに響きが似ているからでしょうか?

 

 

 

実はアメリカの研究でも、8割の人が「DNAを含む食品に表示を明記して欲しい」と答えていた。

 

実は、私が今回のアンケートを取ろうと思った理由は、この論文を読んだからなのです(有料です)。

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27199295

FASEB J. 2016 May 19. pii: fj.201600598. 
What consumers don't know about genetically modified food, and how that affects beliefs.
McFadden BR, Lusk JL.*3

 

何故か無料でPDFが落ちてました。

http://ageconsearch.umn.edu/bitstream/235325/2/Manuscript%20Text%20File.pdf

 

この記事の中で、私がした質問と同様の質問をしています。そして答えはこちら。

f:id:tsunapon:20160531070749p:plain

f:id:tsunapon:20160531070759p:plain

*4

 

この研究では、被験者の84%が遺伝子組み換え食品の告知義務を求めています。また、被験者の80%がDNAを含む食品の告知義務を求めています。 

私はこれを見た時、

DNAの表示を義務付けて欲しい人が圧倒的に多いという事実にかなり衝撃を覚えました。

 遺伝子組み換え植物の研究者にかかわらず、生命科学系の研究者でDNAの含有食品に告知義務を求める人は居ないと思います。多分0です。少ない、とかじゃなくて0人だと思います。

 他方、一般消費者は8割がDNA含有食品の告知義務を望んでいます。

アメリカの研究者と一般消費者との間の知識の乖離が浮き彫りになったという点で、この研究はとてもおもしろい研究だといえるのではないでしょうか?

 

アメリカの消費者は食品の安全性を専門家に決めて欲しがっている?

この論文で明らかになったもう一つ面白い点は、多くの被験者が、いざ、遺伝子組み換え作物を含む食品についてラベルするかどうかを決定する段になったら、

識者にその決定権を委ねようと考えていた点です。

 

遺伝子組み換え作物の告知義務について、どのように決定したらよいか、という質問に対し、実に60%近い人が、Food and Drug Administration...(農林水産省みたいなやつかな?)に決定して欲しいと考えているようです。

自分たちの意見が反映される住民投票が良いといった人は8%だそう。

 

アメリカの研究者は信頼されていますねー。

しかし同時に、一般人の他人事感もかいま見える結果です(^_^;)

 

論文の著者曰く、科学政策決定において消費者の意見はあてにならない!?

この論文では、 考察において、一般市民が専門的な知識を得ることの難しさを指摘しています。また、考察の中にこんな一文がありました。

"Our results here indicate that consumer polls are not an adequate proxy for the decision of wheather a mandatory label should be required."

拙訳;我々の結果は、消費者の声が(食品の)表示を義務付けるべきか否かを決定するための適切な委任先では無いことを示している。

 

つまり、食品に遺伝子組換えだの何だの表示を義務付けるために消費者の意見を聞いたって、そんなん当てにならねぇよ、って思われちゃったわけです。

食品を口にするのは消費者なのに、消費者は専門家任せ、そして専門家たちは「あいつらあてになんねーよ」って消費者に対して思っている…なんだかそれって悲しくない?

 

論文と今回の結果を比べてみよう!

ではもう一度、今回のアンケートの結果に戻りたいと思います。

改めて、無効票と思われる「結果が見たい」を弾いた結果を見てみましょう。*5

 

f:id:tsunapon:20160601033119p:plain

質問① 有効票のうち49%の人が遺伝子組換え生物を含む食品に表示を求めています(有効票数747)。

半数を切りましたね。私の感想としては、思ったよりも低い。みんな、私が想像していたよりも遺伝子組み換え食品について安全だと思っているのだな、と思いました。

アメリカと比べたら圧倒的に低いですし、びっくりです。

遺伝子組み換え食品の安全性については、厚労省が資料を配布しています。商業的な課題はあるもの、食品としてはきちんと検査されていて安全だと考えていいと思います。

遺伝子組換え食品 |厚生労働省

 

f:id:tsunapon:20160601033305p:plain

質問② 有効票のうち27%の人がDNAを含む食品に表示を求めています(有効票数684)。

この結果で面白いのは、「明記してほしくない」と回答した人が多いことですかね。気持ちがわかります。全ての食品に「この食品にはDNAが含まれています」って書いてあったら鬱陶しいですからね。
こちらは明記を求めない人が多数でした。解説付きのRTの影響もあるでしょうが、それでも、明記して欲しいと考える人は少数派だったんじゃないかな、と考えます。質問①と見比べても、半数を超えることはないだろう、というのが私の印象です。

 

こうしてみてみると、DNAについてある程度の知識がある上で、質問①に回答してくださったことがわかります。で、質問①の結果からは、半数以上の人が「遺伝子組み換え食品は食べても大丈夫」っておもっているのかな、と思いました。

これは仮説ですが、DNAについての知識があるから、必要以上に遺伝子組換え食品を恐れていないのではないか*6、と。これを検証するにはさらなる調査が必要ですね!

 

とにかく、今回の結果を見る限りでは、元の論文の筆者が結論づけたような、「消費者なんてどうせ何も分かってないんだ、当てにならねーよ!」っていう見解は、今回の回答者さんには当てはまらないなーと思って、とってもホッとしました!

 

研究者と一般人の適切な信頼関係を築こう!

専門家じゃない人、なんとお呼びしたら良いのか迷ったのですがひとまず一般人と呼ばせてください。

やっぱり、自分の身の回りの科学、食品なんかについて、自分が使うものなのに蚊帳の外に置き去りにされて、専門家に丸投げって、ちょっと怖いしさみしいじゃないですか?

それに、もしかしたら「あー、一般人なんてどうせ何もわからないんだから」って適当に法律決められちゃったり、変な商品売りつけられるのも嫌じゃないですか?

それに、研究者だって、新しい発見をした!やったー!って言う時に、報道されてみんながすげーすげー言ってくれたらすごい嬉しいし、何だこの研究って言われたらクッソー次に見てろよー!って奮起するんですよ。*7

 

一般人が、積極的に情報を取りに来てくれて、私達研究者をいい意味で監視していただけたら、科学と社会の、もっと良い関係が築けると思うんです。だからお願いします。

 

そしてもちろん、一次情報に触れる機会が多い私達研究者が、社会に向けてわかりやすく、でも正確に、最先端の科学を発信していくのが大事だろうなー、と思っています。

 

だーかーらー、ブログって良いよなぁ?

 

 

おわりっ

*1:一字一句正確ではないです。RTしていただいた方、ちょこっと見に行ってしまいました、すみません。。。全員では無いですが。

*2:ドコサヘキサエン酸。魚類等に豊富に含まれる不飽和脂肪酸の一種。一定の健康効果が認められることから、厚生労働省が一日あたり1gの摂取基準を設けている。

厚生労働省 食事摂取基準 2010年版 各論1-3 脂質 p87~89 参照

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/05/dl/s0529-4g.pdf

*3:ざっと見た感じ、企業からの資金提供は受けていなさそうです。

*4:McFadden and Lusk, FASEB J. 2016の情報を元に作製。対象はオンライン、電話を用いた被験者1,004名。内女性は53%。35%が学士保持者。収入の中央値は$40,000~$59,999。

*5:元の論文に比べて、今回のtwitterアンケートはつなぽんのフォロワーさんの協力をえて集計したため、被験者の偏りに留意していません。フォロワーさんは理系アカウントの方が多く、結果に偏りが生じている可能性は十分あります。

*6:よくわからない食べ物って怖いよね。私も口に入れたくない。。。

*7:私は論文が出るたんびにエゴサしてます

Oさんのこと。

多くの優秀な科学者は小保方さんのことをもう口にしない。

既に議論をしつくされたし、今の時点で彼女を擁護している人には

多分ロジカルな議論は成り立たない。

そして、小保方さんについて議論をすることで、彼女と同じ土俵まで自分を下げてしまうことを恐れているのだ。あまりにもバカバカしいから。

 

私もそう思っていて、

この問題は地雷だとわかっているからできれば踏みたくなかったのだけど、

間違ってツイッターで踏んでしまって、

どうもこの件が小保方さんが女性であることと密接に関係しているらしいと知って、

どうしても言いたくなったのでここに書きます。

多忙につき読みやすい体裁になっていないことをご容赦願いたい。

 

 

小保方の問題が未だにくすぶっている原因は、小保方さんが科学に対して不誠実な態度を貫いているからであって、

①小保方さんが女性だから責めやすかった

②小保方さんが女性だから男性研究者が嫉妬した

という構図は全く的はずれなものだ。

また、分生研の加藤茂明と同列に語ることも違和感がある。

 

小保方さんの態度は科学に対して不誠実だからみんな怒っているのだ

まず、小保方の科学に対し不誠実な態度について。

小保方の論文に剽窃や捏造があったことは事実だ。

http://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf  (理研報告書)

しかしその剽窃や捏造が明らかであるにもかかわらず

彼女はSTAP細胞があると強言し論文の撤回を渋った。

また、理研の調査にも積極的でなかった。
まともな実験ノートもオリジナルデータも提出されなかったし、

それらの要因により検証が遅れ、

論文の撤回にとても時間がかかってしまった。

 

論文は、次に繋がる科学の基礎となっていく部分で、

もしも同じ実験をして先行研究と結果が異なってしまった場合には

「なぜ先行研究と異なる結果が出てしまったのか」という注釈を付けずに

論文を公開することは原則的に出来ないのだ。

そして「なぜ先行研究と異なる結果が出たか」を調べるのには結構な労力が必要だ。

やったことある人はわかると思うけど。

 

つまり、一つ捏造論文があるということは、次に繋がる科学に甚大なミスリードを誘発したり、不必要な労力を強いることになる。科学にとって大きな損失だ。

多くの科学者はそれを理解しているから、できる限り誤解が生じないように、後から実験する人がちゃんと再現が取れるように方法を論文に明記し、連絡先も掲載している。

 

一方で小保方は論文の間違いを指摘された後も論文を撤回しなかった。

そればかりか「論文が正しかったか否か」という問題を「STAP細胞があるかないか」という

問題にすり替えようとした。

専門家が査読する科学誌を通さずに自分の主張を押し通そうとするのは科学者としてとても不誠実だ。

更にSTAPが再現できないとなったら

科学的な真理の証明プロセスから逃亡し、本の執筆や雑誌の対談といった、

全く科学的でない方法で、自らの正当性を主張し始めた。

当然彼女を擁護することはできない。

それは彼女が女性だからではない。

彼女が科学者として不誠実で、多くの科学者が積み上げてきた科学的知見を、自己保身のために踏みにじるという最悪の行為を行ったからだ。

 

加藤茂明氏のこと

つぎに、何かと取り沙汰される加藤茂明について。

私はもちろん加藤の事件もなかなかひどい捏造事件だったと思う。

なにせ世に排出した捏造論文の量が多いのだ。

ただし、決定的に違うのは、加藤自身が捏造を指示した証拠が無いことだ。

加藤自身はデータの取得や論文執筆の初期段階で関わっていなかったこと、

加藤研の2グループのうち1グループで主に捏造論文が量産されていたこと、などから、

加藤自身が積極的に捏造を指示したと考える証拠が希薄であることから、

加藤は今の処分に落ち着いているのだと思う。

ただし、捏造発覚を隠蔽した事実が指摘されており、やはり科学に対する不誠実さを感じる事件である。

(この部分において、片瀬久美子先生からツイッターで指摘を頂いたために一部修正させていただきました。加藤茂明が捏造の発覚を隠蔽しようとしたことが、東大の報告書に明記されておりました。

調査不足をお詫びするとともに、片瀬先生に感謝申し上げます。

東大の報告書はこちらです。

http://www.u-tokyo.ac.jp/content/400007772.pdf

http://www.u-tokyo.ac.jp/content/400007786.pdf

)

 

もちろん加藤はそれらの論文の責任著者であったので責任は取るべきだが、

部下が本当に悪意を持ってバレないように捏造を行った場合に、

PIが予め部下を疑ってかかることが健全かと言われると答えに窮する。

私はPIじゃないけど、PIになったら学生を信じたいから。

(もちろん捏造を隠蔽しようとしたのはだめだ)

異論はあるだろうが、加藤が東大をやめた後に福島で第二の研究人生を歩もうとしていることに、私はさほど違和感を覚えないのだ。

単純に学生の指導が下手だったんだろう。

 

更に、小保方と加藤の決定的な違いは、

小保方は筆頭著者かつ責任著者だったのに対し、

加藤は責任著者ではあるが筆頭著者ではなかった点が挙げられると思う。

筆頭著者かつ責任著者は、もうその論文の全て私の責任ですと言わんばかりの重大な責任を論文に対して負っているわけで。

そこで捏造が見つかったらもうほぼ小保方が悪い、となるのは当然だ。

 

なお、この問題は「他にも捏造している人がいるから小保方さんだけが責められるのはおかしい」というたぐいの問題では無い。

他にも捏造している人がいるなら、当然そのほかの人も論文の修正なり撤回なりをしなければならないことは自明である。

 

はじめから真理の追求を目的としていなかったように見える小保方は、

多分科学者では無くて詐欺師だったんだと思う。

 

後もう一つ。この件で早稲田大学が非常に非難を浴びたことは悲しいことだと思っている。確かに彼女に学位を出してしまったこと、学位取り消しに至るまでのプロセスはいまいちだったけれど、

早稲田出身の研究者で優秀なヒトもたくさん知っているから。

早稲田大学が教育機関として不適切だとはどうしても私には思えないのだ。

 



以上、私の考えを書いた。

なお、本エントリーへのコメントについて、お応え出来ない場合が有りますのでご容赦を。

 

 

2016 5/27 1:31am 指摘をうけて一部修正いたしました。

 

【追記】2016 5/30  1:24 am
本記事において、加藤研と早稲田大学に対してつなぽんは甘すぎる!というご意見を多くの方から頂きました。
私としては、加藤研と早稲田大学に関しては当たれる資料が少なく、客観的に評価できる資料は調査報告書くらいかと考えています。その他の、ある学生がこう言っていた、というたぐいの情報はどうしても主観が含まれてしまいます。匿名ブログという性質もあり、なかなか批判的に書きづらいところです。

これらの意見について、コメント欄に幾つか貴重なご意見を頂戴しました。ぜひ、コメント欄を合わせてご覧頂き、この件については私はこれ以上の言及は差し控えようと思います。ご了承ください。

 

なお、今回の件で早稲田大学理研自体の、組織としての問題点の改善は不十分だったことは確かです。が、本ページで述べると論点があやふやになると思ったので書いていません。(早稲田大学内からも同様の問題提起がなされています。)

https://www.facebook.com/iwasaki.hideo.5/posts/793592170693337

早稲田大学調査報告書はこちら

http://www.waseda.jp/jp/news14/data/140717_committee_report.pdf


また、早稲田大学の教育が不十分だったため小保方が捏造を行ったのだという論調に関しては、20歳を過ぎた人間が自分の未熟さを教育のせいにするのはあまりに幼い行為なのでは無いかと思います。

おわり。

 

私が学内カウンセリングに行った時の話 〜自分と他人の境界線〜

雑記 学内相談室 メンタルヘルス

前回のエントリで学内カウンセリングに触れて、

学内カウンセリングを有効に使おう、とアドバイスした。

 

tsunapon.hatenablog.com

 

あの記事に対して、

「話を聞いてくれるだけで意味を感じなかった」といったコメントが散見されて、

私は正直、「なるほど、そう思う人が居るのも納得。でももったいない」と思った。

カウンセリングは今の日本に浸透しているとはいえないので、

カウンセリングを施す側と受ける側にミスマッチが生じているのかな、と思う。

 

私は臨床心理士の資格を持っていないし、心理学やカウンセリングに精通しているわけではないけれど、

自分がカウンセリングを受けたり調べたりしたので、ここにすこし書き残しておこうと思う。

 

カウンセリングって、即物的な答えを求めに行くところではないんじゃないかな。

カウンセリングはだれかの考えに同意したり、アドバイスしたり、解決策を示したりはしてくれない(…と思う)。

あなたはこうあるべき、人間とはこうあるべき、みたいなことも言わない。

ただ、貴方自身が自分をどう受け止めているかっていうのを探すところなんじゃないかなー、と思っている。

 

だから、もしあなたが彼氏と喧嘩して、別れようかどうしようか、って思っている時に、

「うっそー、その彼氏ひどいね!別れちゃいなよ!」とか、「3ヶ月後に運命の人が現れるでしょう」とか、「今ある幸せを大切にしなさい」とか、

そういう答えを求めているんだったら完全にミスマッチだ。

友達とか占い師に聞いてもらうと良い。

ただ、彼と自分との関係を見つめなおすとか、彼と自分の関係が対等であったかとか、

自分と彼は依存しあっていたかとか、自分が彼に対してどういう不満を抱いていたかとかを真剣にあぶり出そうと思うなら、

もしかしたら役に立ってくれるかもしれない。

 

私はカウンセリングを受けて、自分の中に紛れ込んでいる他人を発見した。

他人のものだと思っていたものが自分のものだったり、

自分のものだと思っていたものが他人のものだったりしたことを発見した。

私はあるときはひどく客観的で、またある時はひどく主観的だったことを発見した。

そして、他人と自分との間に正しい境界線を引くことで、

気持ちが楽になることを体験した。

これって、研究するにしても仕事をするにしても、健康な心を維持するために、結構役に立つんじゃないかと思っている。

 

もし、学内カウンセリングに興味をもったひとがいるのなら、

かなり長いのだけど、私が学内カウンセリングを受けた時の話を書いてみたので読んでみて欲しい。

少なくとも私の時はこんな感じだったよ、っていうのが分かってもらえると良いのだけど。

(こういう話、守秘義務があるのでカウンセラー側からは出てこないはずだ。)

 

 

 

夜眠れなくなってしまった時の話

博士課程1年目の5月のはじめ頃だったかな。わたしはかなり参っていた。

いろんなことが同時に起きて、頭がぐちゃぐちゃになってた。

いくつかその主だったものを挙げてみると、

 

1)4月に元カレと別れて、その執着を捨てきれずに居た

別れた理由は遠距離で次第に性格が合わなくなっていったという

まぁありがちなものだったんだけど、

別れたてで5月の時点ではまだ全然気持ちに整理がついていなかったのだ。

私の行動次第では、復縁ワンチャンあるんじゃないかとおもって虚しい努力を重ねていた。

 

2)ラボの同期に告白されてお断りしたら彼が不登校になった

同期の子に告白された。非常にありがたかったが、

私は彼とは性格が合わない気がして、それでお断りしたのだ。

だが彼は次の日からひどく落ち込んでしまった。

そしてしばらくして彼は学校に来なくなった。

彼は私なんかよりずっと器用で、ずっと頭の回転が早くて、ずっとたくさんの論文を読んでいたから、たぶん研究室の誰に聞いたって、彼のほうが私よりも研究者として優れていると思っただろう。

無能な私が彼と付き合わなかったばかりに、優秀な彼の心が壊れてしまった、

こんなことなら自分の心を偽って彼と付き合ったほうがこのラボのためには良かったのに。

いっそ今からでも付きあおうか、そしたら全部解決するんじゃないか。

いやでもやっぱり怖いな。

当時は本当にそんなことを思っていた。

 

3)この時期、母との関係が急激にしんどくなっていた

私にとってはこれが一番つらかった。

一人暮らしを始めて1年くらい経っていたのだが、

母から頻繁に電話がかかってくるのだ。

「ねぇ、次はいつ帰ってくる?」

「そっちに遊びに行っても良い?」

「食事でもしない?」

「パパがひどいんだよ。あのね。。。」

「おねえちゃんがこんなこと言ったの。ひどいでしょ?」

「つなぽんはどう思う?」

下宿先から実家まで1時間くらいと近距離だったのも良くなかったのだ。

母は暇を見つけては私に会おうとしていた。

父と母はもともとあまり仲が良くなくて、

実家に居た時に私が母の愚痴の聞き役になっていた。

一人暮らしを始めても、いや、私が出て行ったからこそ母は寂しかったんだろう。

私は研究に集中したくて一人暮らしを始めたのに、

母は頻繁に私に帰ってきて欲しがった。

しかし実際問題、その時の私はすごく忙しくて、実家に帰る時間があるなら実験をしていたかった。

「ごめん。今は帰れないよ。時間が無いんだ。」

というと、母はすごく悲しそうな感じだった。電話越しに。

そして、断るたびに私は、「あぁ、また母を悲しませてしまった。私はなんて親不孝なんだろう」

と、思った。

 

4)学振の申請書類

そこに、学振の申請書類を書くというタスクもあった。

申請書を書くには、自分の研究を客観的に見る作業がどうしても必要だ。

私は自分の研究を客観的に見れば見るほど、自分の研究がいかに進んでいなくて、

いかに私が研究者として無能かを思い知らされるような気がした。

 

 

そして5月の始め、とうとう私は眠れなくなってしまった。

いや、眠れはするのだが、すぐ起きてしまってその後全然眠れないのだ。

いわゆる早朝覚醒というやつだ。

私は冴え渡った頭でもんもんとしながら布団にくるまり、目をつぶって眠りがやってくるのを待った。でもそれは結局やってこなくて、2時間くらいしか寝れないまま学校に行って学振を書いた。

 

日中のパフォーマンスは最悪だった。

いつも以上に手が止まって、考えもまとまらない。

昨日寝れなかったんだから今日は寝なくては。そう思ったけれども、

次の日もやはり2時間ほどで目が覚めた。

明らかに自分の頭が悪くなっていることを自覚した。

絶対何かおかしいと思った。

 

それで私は、大学の学生相談室のウェブサイトから電話番号を調べ、

学生相談室に予約を入れたのだ。

 

私の精神状態は大して深刻ではなかったけど、相談室に行ってよかったと思う

実は私が相談室に予約を入れた時、私は

「うーん、相談室混み合ってるだろうし、私みたいなあんまり深刻じゃない人が相談室なんか行って大丈夫なんかな?迷惑なんじゃないかな?」

と思っていた。

 

今思い返しても、そこまで深刻な精神状態だったかと言われると疑問だ。

実験ノートを見返しても、至って普通だ。

考えをまとめるのに時間はかかったけど、おかしな考察をしている様子は見受けられない。

多分あのままほっといても私はうつ病にはなってなかったのではないかと思ったりもする。

でも、それでも、あのとき学生相談室に行ったのは正解だったと、心から思っている。自分は随分生きやすくなった。

そして私は、学生相談室は心を病んでいる人のためだけにあるんじゃない、ということをこの記事で強く主張したい。

別に心がほぼ健康な人に対しても、相談室は多分開かれているよ、と。

 

不安なことがあったら、「私なんかが行っちゃまずいんじゃ…」とか思わずに、

相談室は積極的に利用したら良いんじゃないの?というのが私の意見だ。

病んでるからじゃなくて、自分の心を整理できるから、私は相談室をおすすめする。

なんてったってタダだしね。

 

なお、ほんとうにうつ病を発症して、自殺を考えて思いとどまってから相談室に行った後輩は、

二言三言カウンセラーさんと話してそしてそのまま保健センター精神科に連れて行かれたらしい。

本当に病的なまでに鬱症状が進行してしまった人は、相談室ではなく精神科にかかるべきだということだろう。

(この話をきいてはじめて相談室と精神科が連携していることを知ったのだけど、どこの大学でもそうなのかな?)

 

 

 

初めてのカウンセリング

予約した時間に相談室の扉を叩いた。

相談室には共通スペースがあって、本などが置いてあった。

カウンセラーさんが一人ずつ学生さんを呼びに来て、別室で一対一で話をするスタイルだった。

 

個室に入るとテーブルと椅子が4個。好きなところに座るように促されて、

適当に扉に一番近いところに座ったのを覚えている。多分ここが一番下座だろう。。。とか思いながら。

 

その日は、ただただ一方的に私が話す展開だった。

私が後輩を振ったら後輩が来なくなってしまったことや、

母からの連絡がしんどいこと。

彼氏と別れたこととか。

カウンセラーさんはほぼ聞いているだけだった。

もしかしたらちょくちょく質問されたかもしれないけど、余り覚えていない。

そして時間が来た。

 

カウンセラーさんは一言

「どうされますか?また来ますか?」と聞いた。

 

私は

「カウンセラーさんは、私がまた来たほうが良いと思いますか?」

と尋ねた。

 

カウンセラーさんは

「それは、あなたが決めてください」と。

 

「それは、もうこなくてもいいという意味ですか?」

と聞くと、

「あなたが必要だと思えば来てください。私は協力します。来なくてもいいと思うなら来なくても大丈夫です。あなたが決めるのです」

と答えた。

 

ボールは完全に私の手の中にあった。私の行動を決めるのは自分だった。

私には自分の行動を決める自由があって、それが私にはひどく居心地が悪かった。

だから、次の予約を入れた。

「来週、また来ます」

 

1週間の間に1冊の本に出会った

一週間は結構長い。私はカウンセリングのときに感じたモヤモヤとか、

母と話している時に感じるもやもやとか、何なんだろうと思ってネットで調べていた。

そして、アダルトチルドレンという言葉を知った。

アダルトチルドレン - Wikipedia

全てではないけど、見捨てられ不安とか、自己肯定感の低さとか、自分の意見のなさとか、孤独感とか、そういう、うまく今まで言語化できなかったけど自分の中にあったもの、そして自分が必死に周りに見えないように取り繕っていたものが、確かにそこに書いてあった。

それから、私は他人をコントロールできると思っていた。あと、自分に近しい人の幸せは、私の行動で決まっていると思っていた。でも、その感情事態が共依存の人によく見られるものだと書いてあった。

私はそれで、親と子の関係について記述されている一冊の本を買った。それがスーザン・フォワード著「毒になる親」だ。

 

この本に書かれている内容は、かなり極端な例だと思う。

私の母はアル中ではないし私は虐待されていたわけでもなくて、

だから私は、いわゆるアダルトチルドレンのプロファイリングにピッタリ当てはまる人物像では無いのだけれど、

でもその本に出てくるアダルトチルドレンが抱える生きづらさには、

私と共通するものがいくつも散見された。

そして私は、その本をすんなりと読み進められず、ほんとうに時間をかけて、ちょっとずつちょっとずつ読んでいった。

 

カウンセリング、二回目以降。自分を見つけるための行程

二回目のカウンセリング。

私は席に通されたあと、カウンセラーさんの言葉を待った。

きょうは何を話すんだろう?

 

するとカウンセラーさんが

「今日は何を話しますか?」

と。あ、それ決めるの私なのか。と思った。

 

私は、迷ったけどとりあえず母との話をした。

母から電話がかかってくるのが嫌だとか。

母が私にプレゼントをくれるのが嫌だとか。そういう話。

 

一つ一つのエピソードに対して、

「その時、なんて言ったの?」とか、「お母さんの反応は?」とか、

結構具体的に聞かれる。私も具体的に話す。

でも、私は、「その時、あなたはどう思いましたか?」という質問に対しては、一度も明確な回答を返すことができなかった。

 

 

例を挙げてみるとこんな感じだ。

私「母から電話がかかってくるのが、何か嫌なんです」

カ「どんなことを話すの?」

私「会いたいとか、家に帰ってこないかと言われることもあるし、そうでない時もある」

カ「いつも嫌なんですか?」

私「はい、だいたい嫌です。」

カ「なんでですか?」

私「…わかりません。……でも、断ると、母が悲しむだろうと思います」

カ「断るとき、あなたの気持ちはどうなんですか?怒りですか?悲しみですか?」

私「…………」(気持ち?気持ちってなんだ?)

カ「じゃぁ、その感情はネガティブですか?ポジティブですか?」

私「…………わかりません…けど、どちらかというと…ねがてぃぶかな」

 

一時が万事これだ。相手が母じゃなくて後輩君でもこれだ。

相手が嬉しいだろうとか、悲しいだろうとか、そういう感想は抱いているのに、

その時自分がどういう感情だったのかというのはまったく思い出せなかった。

多分、これは実際に自覚したことのある人じゃないとわからないんじゃないかと思うんだけど、自分の感情がわからないのだ。すごく不安な感じだ。

 

そこからは何回も、週一で3ヶ月くらいカウンセリングに通っただろうか。

あんまし覚えていないけど。

家族構成とか、昔のエピソードとか、いろいろ、カウンセラーさんとお話した。

たまに、私が感情を覚えているエピソードに行き当たることもあった。

(ここに書ける話ではないので具体的なエピソードは省略)

母や父やその他の親族に対してすごく私は怒りを覚えていたり、悲しみを感じたエピソードだったり。

怒りに任せて泣いたり、すごく悲しくなって泣いたり。泣くとちょっとすっきりする気がした。

 

後は本を読んだり、ネットで色々検索したりして、

だんだん、気持ちに整理がついてきた。

 

自分が自分の責任だと思っていたものは、意外と他人の責任だったのかもしれない、とか。

私が他人の感情だと思っていたものは、自分の感情だったのかもしれない、とか。

そんなことを思うようになった。

私は、他人と自分との区別が、ついていなかったんだなって。

それで、他人と自分との境界をすごく意識するようになった。

それでだいぶ、生きるのが楽になった。

 

それで、3ヶ月くらいして、まぁ研究が忙しくなったのもあって、カウンセリングに行くのをやめた。もちろん、自分の意志でね。

 

カウンセラーはプロフェッショナルだ

私は本とネットとカウンセリングを使って、自分の気持ちを整理していったわけだけど、

多分、どちらか一方だけではここまですっきりはしなかったんじゃないかな、と思っている。

特に、過去の自分を思い出して、感情を拾い上げていく部分は、自分一人だとなしとげられなかっただろうな、と思う。

カウンセラーさんは、私がどんな話をしても、

「辛かったね」「頑張ったね」とか、

「わかるわかる~」とか言わなかった。

表情にも出さなかった。

カウンセラーさんは、私に対して好意も敵意も持たずに、ただ必要な質問をして、それを真剣に聞いてくれた。

そのおかげで私は、「カウンセラーさんが私をどう思っているだろうか?」ということを考えずに自分の考えを口にだすことができた。

私は、「これを言ったらカウンセラーさんが喜ぶだろう/悲しむだろう」みたいなことは一切感じずにカウンセリングを受けられたと思う。そしてそれが私のカウンセリングに取っては必要だったのだろう。ニュートラルな私自身を理解するためには。

彼らはプロフェッショナルだった。

私のこころを掬い上げてくれたカウンセラーさんに、私はこころから感謝している。

 

今の後輩と母とそれから私の話

まず、驚くかもしれないが、後輩君と私はいま、同じ研究室で研究している。

後輩君は一年ほど学校を休んで治療した後、復帰して、研究に取り組んでいる。

今は私とは事務的な会話しかかわさないので、

かれがどのようなプロセスを経てつらい時期を克服したのか、私にはわからないけれど。

 

次に母の話。

親との関係というのはとても複雑だ。私は未だに母との関係を克服できていない。

私は未だに、母の言葉にとても敏感だ。母の言葉で私の感情がひどく波打つのを感じる。

でも、そんな時、自分のテリトリーに母が入ってきているのだということを意識することで、

ある程度自分の感情をコントロールすることができるようにはなった。

そして、私が背負いすぎた母の荷物をすこし、下ろすことができた。

 

私はカウンセリングを受けたあと一時期すごく母のことを恨んでいたし、

なんで母はもっと完璧な人でなかったのだろう、と失望したりもしたのだけど、

多分、そう思う事自体が、自分の存在が母に依存していることの証左なのだろうと思うようになった。

今、母に対して怒りの感情があるかというと、そんなことは無いと思う。

完璧な親は居ないし、自分の親はそこまで悪くはなかったと思う。

ただ、性格が絶望的に私と合わなかっただけだ。

 

多分、私が母への依存を完全に断ち切ることは難しい。

でも、どうにかこのまま生きていける、このままでもそこまで生活に支障はない、

それくらいには自分を取り戻したと思っている。

不完全な母や不完全な自分も、今は愛せている自分が居る。

未だに自由に不自由さを感じるけれども、折り合いはつけることができる。人はみんな、完璧ではないのだ。

 

突然のアフィリエイト

最後に、本を二冊紹介したいと思う。

「毒になる親」と「不幸にする親」。二冊とも良書だ。

 

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 

 

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

 

 

たぶん、この本に登場するような典型的な猛毒親のもとで育った人は稀だとは思うけれど、

ちょっとした機能不全家族に晒されていた人の中には、

似たような生きづらさを感じてしまっているひともいるんじゃないかな?

私みたいに。

 

そんな人にとって、学生相談室はきっと役に立つ。

思春期を終えて、自分というものが確立してきた学生時代に、

一度、自分を整理してもやもやとした生きづらさを解決してみるのはいかがだろうか?

 

 

おわり

 

P.S. なお、本ばかりに頼るのはあまりおすすめしない。

結構内容が極端な気がするし、人の数だけ答えがある。本ではそれに対応するのは難しいから。

あと、ほんとうに苦しんでいる人にとっては、本を読み進めること自体、結構苦しいと思う。

 

更に追記
有名ブロガーの斗比主閲子さんが、タイムリーに自己肯定感についての記事を書かれていましたのでよろしければ合わせてどうぞ。

topisyu.hatenablog.com

研究に心を押しつぶされないための、新米研究者へのメッセージ

研究者の悩み 学び

新年度が始まりましたね。研究室に配属される理系学生は、いよいよ始まる研究生活に心躍らせていることでしょう。

しかし脅かすようですが、学生でありながら研究室で心の健康を崩してしまう人って、結構多いのです。

研究って属人的な作業で、基本的に学生といえども与えられたテーマに対してすごく大きな責任を追うことになります。

だから、責任感が強い人ほど、研究がうまくいかない時に一人で抱え込んでしまってつらい思いをすることになります。

 

そうならないために、学位取得まで研究生活を生き残ったサバイバーとして、研究生活で心を平穏に保つコツを、思いつくままに書いてみます。誰かの役に立つと良いのですが。

 

とりあえず私が伝えたいのはおおまかに言うと以下の三点です。

 

  1. 自分の健康管理をきちんとする
  2. ポジティブデータを求めて同じ実験を何度も繰り返さない
  3. 自分が責任を取るべき領域を明確にしてそれ以上の重荷を背負わない

 

これができれば、研究者として生き残れるかどうかは知りませんが、

心や体を壊して数年間を棒に振ることはないはずです。

 

これだけでは難なので、ちょっと長いですが私の思いを綴ってみました。

お時間があればどうぞ。

 

 

 

 

研究者にありがちな心が削られるシーン4パターン

 

まず、どんな状況で研究者の心がダメージを受けやすいかを考えてみました。

私が思いつく典型的なパターンは以下の4つです。

 

1.やろうと予定していた行程が終わらない

研究室に配属したての、やる気のある学生にありがちな行動です。

張り切って計画をたてるものの、予定通りに一日のスケジュールを終える事ができず、

翌日に作業を回すことになります。

するとどんどん後回しの作業が増えていき、負担がのしかかってきます。

 

これをやる新入生はとっても多い!そしてたいてい、スケジュールを終えることができない原因を

「自分が実験に慣れていないせいだ」

「自分が本気出してなかったせいだ」

と読み違えて、ダメージを食らっていきます。

つまり、「自分、本気出せばちゃんとスケジュール通りにできたんです」と思っているわけです。

おこがましいですよ!

 

あなたがスケジュール通りに実験を終えることができなかった理由は、

「スケジュールがそもそも実現不可能なほど過密だったから」です。

新人っていうのは、見積もりが甘いモノなんですよね、で、無理な計画を立てて潰れていくわけです。もったいないですよ。

 

自分がそんなに有能じゃないってことを自覚してください。

余裕のあるスケジュールを立ててください。

おっこんなん余裕やんけ~、っていうくらいのスケジュールにしてください。

時間が余ったら?論文読むか、実験ノートでも見返していると良いですよ。

 

最初のうちは小さな成功体験を積み重ねていくこと、

これが、研究を嫌いにならず、長く続ける秘訣です。

 

 

2.実験の再現性が取れない

先行研究を引き継いだ学生にありがちなパターン。

優秀な先輩さんの出したデータ、いざ自分がやってみたら全く違うデータになってしまった。

これは結構精神的に来るものがあります。辛いです。そして、新人はそのまま一番やっちゃいけないドツボにはまっていきます。

「先輩と同じデータが取れるようになるまで何度も繰り返し同じ実験をする」

これはもうただただ心をナイフで削り取っていき、しかも実験室のリソースを無駄に消費していくだけの無意味極まりない作業です。すぐに辞めましょう。

 

まず、自分を信じます。2人が出したデータが異なるという事実を客観的に受け止めます。

次に、先輩につきっきりで見てもらいます。先輩と自分で違うところがあれば改善します。

試薬から何から、先輩のものを使って実験します。

 

先輩に見てもらって相違点が見つからないにもかかわらずやはりデータの再現性が取れない場合。

それはあなたが悪いんじゃなくて、その実験系がクソなんです。

一研究室内で実験者によって結果が異なるようなデータ、世界的に見て消しカスほどの価値もありません。さっさとその系を見限って、新しく系を構築しましょう。

それでもダメなら実験テーマを変えましょう。あなたが心を病んだり、世界の多くの研究者が再現性の取れないくだらない研究の論文を読まされる損失に比べれば、遥かにマシな選択肢です

 

 

3.取り組んでいる研究に意味が見出せない/興味が持てない

この境地に至る学生の心理としては2パターンあります。

一つは、知識不足で当該研究の意味や面白さがよくわかっていないために、その研究が無価値だと感じてしまっているパターン。もう一つは、先行研究にあたって知識を十分に持っているにも関わらず、やっぱりその研究に意味を見いだせなくなってしまったパターンです。

 

アドバイスとしては、とりあえず期限を区切って、その間は実験の手を止めて論文をたくさん読むことです。十分にそのテーマに対する知識をつけてください。レビューや最新の研究をたくさん読んでください。ラボの他のメンバーとディスカッションするのも有効です。

なぜ、自分がその研究がつまらないと思ったのか考察してください

そのテーマで解決しようとしている目的を、自分が共有できるか考えてください。

無理ならテーマを変えましょう。この時には、潔くスッパリと前のテーマを忘れて次に行きましょう。

重要なのは、論文を読む時間に制限を設けることです。そして、「自分は自分の研究テーマに興味が持てるかどうかを見極めるために論文を呼んでいる」という自覚をしっかり持つことです。無目的に、無制限に論文を読んで、ただの論文読解マシーンになってはダメです。

 

そして、次のテーマは本当に自分にあったものを、自分の目で見極めて選んでください。

 

 

4.思ったほど研究成果が出ない/指導者の要求が高すぎる

これは、研究を始めて1年くらい経った頃から徐々に心理的負担が強まってくる厄介なパターンです。

やってもやってもネガティブデータばかり。意味のあるデータが全然出てこない。

「自分がこんなにやってるのに、なんで結果がついてこないんだよぉ」

と、研究に真剣に向き合っている人ほど取り憑かれやすい悩みでも有ります。

しかも「全然進んでないじゃん」というボスの心無い言葉。

そんなの自分がいちばんわかってます。ボスの要求は聞き流しましょう。

 

まず、「努力は人を裏切ります」。かの水木しげる先生もこんなことを言っていたそうです。

研究では、努力しなければ結果は出ませんが、努力したからといって結果が出るものではありません。みんなそうです。

簡単に結果を出しているように見える先輩は、多分あなたが思っているのの3倍位実験していますし、ミスもしています。そういうものです。苦しんでいるのはあなただけではありません。

ま、結果が出なくても死ぬわけじゃありませんから。とりあえず気楽に行きましょう。

 

次に、とりあえず、心ないボスも含めてラボのメンバーに研究の現状を正直に話して、アドバイスが得られないか聞いてみましょう。ここで一人で抱え込むのは絶対に絶対にダメです。ヘタしたら死にますよ。研究は確かに個人の責任が重いけれど、研究室の人たちはみんな仲間です。昼飯のついででもいいので、「自分は今本当に苦しんでいるんです」ってことを、周りに伝えてください。

有効な打開策がすぐに出てこなくても、少なくとも苦しみをある程度シェアできます。

 

「打つ手が無い」状況になると精神的にかなり追い込まれますので、

そうなる前に可能性を広げることが大切です。

ここでいう「打つ手がない」というのは、想定できる可能性を検証し尽くすことです。

サブでもう一個実験を始めるという手も有ります。

まだ、自分には打つ手が残っているというだけで、心理的負担は軽くなります。

 

うまくいかない時はうまくいかないけど、うまくいく時は驚くほどうまくいくものです。続けていれば、きっといいこと有りますよ。なかったらごめん。

 

 

次に、研究生活を続けていく上で心がけてほしいことを伝えてみます。

 

食事、睡眠、運動を大切に

研究者の商売道具は頭です。明晰な頭脳を維持するためには栄養に偏りのない食事を取ること、

ちゃんと睡眠をとること、適度に運動することを心がけること。

 

「おっ、4時間寝ただけも意外と行けるじゃん。このまま実験しよ」

「夕飯とかカロリーメイトでいいや」

これをやってるといつか絶対壊れます。ミスが多くなって、朝起きられんようになって、

そしてある日、学校に来れなくなります。

 

たまに「こんなに頑張ってる俺TUEEEE!」みたいな新人が入ってくるんですけど、

私に言わせればプロ意識が欠けてますね。学生なんだけどさ。

寝てなくても食べてなくても評価は上がりません。結果を残してください。

頭を大切にしてください。あなたの商売道具です。

 

 

体の変調を見逃すな/いつもよりミスが増えてない?

体重は減っていないですか?夜、ちゃんと寝れていますか?

朝起きられますか?急に実験のミスが増えていませんか?

上記のような症状が出たら、体からの最終警告だと思ってください。

ペースを緩めずに実験し続けた場合、必ず、取り返しの付かないことになります。

 

絶対長くは続きません。

 

学内カウンセリングを有効に使う

学校に来れなくなってからでは遅すぎます。

夜寝付きが悪いとか、数時間寝ただけで目が覚めちゃうとか、

朝起きて学校に行くのが辛いとか、そういう日が続いたら。

 

「こんなんでカウンセリングなんて大げさ」

なんて思わずに、カウンセリングに行ってください。

行ったほうが良いのかな…?と感じたら、もうだいぶ症状は進行してます。

行ってください。

 

普通に受けたら1万円位するものが、学内ならタダです、多分。

躊躇することは何もありません。行ってください。

 

自分が行ったことがあるから言います。彼らはプロです。

大丈夫です。行ってください。

 

 

研究はいつやめたって良い/研究室のことを心配するのは学生の仕事じゃない

 

これは重要な事なんですけどね?

学生は、いつでも研究室をやめる/休学する権利があるんですよ。

それに、雇用契約を交わしているわけではないのですから、

ちょっと体調が悪いなって言う時は、

無理せず休んで良いんですよ?

(もちろん何の成果も出さずに遊び呆けるのはダメですよ。)

 

研究を続けるのが辛くなってきた学生さんって、

なぜか「僕/私がやめたら、研究室の他の人が困るんじゃないか」

「先生が僕/私の研究で予算取ってきたって言ってた。ここでやめたら、研究室の成果がなくなる」

とか、いらん心配をし始めるんです。

 

はっきりいいます。

それを心配するのは10年早いわ!とっととPIになってから言え、学生風情が!

 

研究室の予算を取ってくる、ラボをうまく運営する。

それは、学生の仕事ではない。

ボスと、助教とかポスドクとか、研究室に雇われているスタッフの仕事です。

学生の仕事は、卒業するために研究を進めること、

博士課程なら論文を書くこと、それだけです。

もし、ボスが「君がやめたら困る、どうしてくれるんだ」

と言ってきても、それは無能なボスが本来ボスが負うべき荷物を学生におっかぶせているだけです。学生が背負い込むべき荷物ではありません。背負いすぎた荷物は、本来その荷を負うべき人のもとに、きちんと返してあげましょう

一人でするのが難しければ、相談室に行って、自分の荷物と他人の荷物をわけるのを手伝ってもらってください。

どうか、あなたが背負わなくても良い荷物の重みで、潰れないでください。

 

 

最後に

苦しんで苦しんで、大学を去っていく学生さんがたくさん居ます。

博士はともかく、修士の学生さんの中にも、来なくなってしまう人が居ます。

 

そんな人を、少しでも減らせればいいと思ってこの記事を書きました。

 

「科学は苦しい物」という思い込みは捨ててください。

自分の体を、心を大事にしてください。

楽しく、実験してください。そして、科学に対して、いつも謙虚で居てください。

それが、科学を歩み始めた皆さんへの、私からのメッセージです。

 

 

終わり

 

こちらも良ければどうぞ

 

tsunapon.hatenablog.com

 

 

理学ってなんだろう?

研究室

まずはじめに、この記事を書いているのは学位取り立てペーペー理学部生物系ポスドクであるということを断っておきます。この記事では、理学部で過ごして10余年が経過したつなぽんが、自分の「理学」に対する思いをぶちまける、そういう内容になっています。

 

 

私が学位をとったのはつい最近の話だ。わたしがとった学位は博士(理学)で、英語で言うならばPhD。Philosophiae Doctor。哲学博士。

日本において博士号の価値がどんなに低かろうと、理学博士であることは私の誇りだ。

私は理学、大好きだからね。

 

理学とは何者か。そして何のために存在しているのか

この問いに答えるのは、

「医学部って何か」「薬学部って何か」「工学部って何か」という問に応えるよりも遥かに難しい。

なぜなら理学という学問は社会への成果の還元を主たる目的にしていない。

理学がどう人の役に立つか?という問題はナンセンスだ。

PhDという言葉にも現れているように、理学者というのは広義の哲学者なのだ。

 

「世界とは何か?」

「我々は何者か?」

「私たちは何のために生まれたのか?」

 

理学は、この疑問に答えるためにある。

数学科も、天文学科も、物理学科も化学科も、そして私の居る生物学科も。

何のために学問するかと聞かれたら、「世界とは何かを知るため」。

それが理学者として答えるべき一つの回答だと思っている。

 

 

理学部に存在する学科達

数ある理学部の学科の中で、生物学は少し特殊だと思っている。

それは、他学科が「世界とは何か」の答えを外に求めるのに対して、

生物学科はその回答を内に求めていると感じるからだ。

少なくとも私はそうだ。

 

「数」は、世界で生じる様々な現象を最も誤解なく、効率よく表すことができる世界の共通語。「数学科」は、世界の普遍の共通言語を分析することで、「世界」を理解しようとする。

 

「宇宙」は私達の棲家。そして今現在、私達が認識しうる「世界」の全て。「天文学科」は最先端の技術を駆使し、宇宙の仕組みと成り立ち、更には宇宙の外をも研究対象とすることで、「世界」を理解しようとする。

 

「分子」は世界を形作る基本単位。世界に様々な形で存在し、世界を形作る。「化学科」は、分子の特性を研究し理解することで、「分子」の単位で「世界」を理解しようとする。

 

「物理法則」は世界の揺るがぬ普遍の法則。「物理学科」は世界のあらゆる現象を「数」の言葉で表すことで、世界を理解しようとする。

 

私は全ての学問に通じているわけじゃないから、もしかしたら誤解している部分もあるかもしれないけど、私が他の理学部の学科さんに対して持っているイメージは概ねこんな感じ。

 

理学としての生物学と、私がそれをやる理由

上に挙げた4つの例は、いずれも「世界に存在するものの普遍的な現象」を学問の対象にしている。一方生物学は?世界の中でも大部分を占める「無生物」を一切無視して、地球という、宇宙の中でも限られた場所にしかない「生物」のみを研究対象にする、まぁ言うならば、理学の中でもややスケールの小さい学問。。。のように見える。

残念ながら。

 

でも、見方を変えれば、やはり「生物学」も、「世界」に挑む素晴らしい学問なのだ。

「世界とはなにか?」と考えた時に、多くの人が宇宙を思い浮かべる。それは間違いではないと思う。

 

でも、「宇宙が世界だ」と私達はどうやって認識したのだろうか?

あるいは私たちは分子の存在を、様々な物理法則を、どうやって認識したのだろうか?

 

私は、(あくまで私の個人的見解だ)

「世界」とは、私が見た、触れた、聞いた、五感で感じ、我々の神経回路で認識されたものこそが、「世界とはなにか」の一つの解になっていると思っている。

つまり、「世界」は私の中にある、神経系の活動で表されると。

 

「私とはなにか」ー「私とは私の思考であり、私の神経活動である」

「世界とはなにか」ー「世界とは私の五感で認識できる対象の全てであり、やはり私の神経活動である」

 

(私は神経を持つ生物を扱っているのでこういう結論に至ったが、神経を持たない生物でも同じことだ。生物の種類だけ、いや、個体の数だけ世界がある。その膨大な数の世界を理解するのが生物学だと思っている。なんてロマンチックな学問だろう?)

 

理学を学ぶ学生と、、、自分へのメッセージ

私は「自分が何者か」を知りたくて、研究をしてきたと思っているし、

これからもそう有りたいと思っている。

私の中に存在し続けるこの疑問は、これまで、科学のラビリンスに迷い込んで遭難しそうになった私を度々導いてくれた。

 

理学は人の役に立たない。

これは時に、研究者の精神を削り取るナイフになる。

「この研究、何の役に立つんだよ。全然意味ないよ」

って思う時がやってくるかもしれない。私も苦しんだことがある。

そんな時に、「自分は何のために理学を学問するのか」という答えを自分が持っていることは、きっと力になると思う。

 

このエントリーでは私なりの、理学・生物学の捉え方を書いた。

私の意見をシェアしろとは言わない。

私の意見は独特かもしれないから。

でも、研究にしっかり向き合うときに、何か一つ、自分なりの答えを用意しておくと良いと思う、「自分はなぜ理学をやるのか?」

それがひよっこポスドクからのアドバイスだ。

 

あと、これは同時に、未来の自分自身へのアドバイスでもある。

私は理学がやりたかった。でも、私が今書いている様々な申請書の内容は、もはや理学ではない。「生物に内包された宇宙を理解するための研究」それではお金は落ちないのだ。少なくとも生物分野ではね。

「ヒトの疾患を治すのに役立てるように研究します」という「嘘」に、いつか自分が取り込まれるのでは無いかと、私は怖くなったので。

それで、このエントリーを書いた。ちょっと恥ずかしかったけれど。

いつか私がまた遭難した時に、このエントリーは私を導いてくれるだろうか?

 

いつやめたって良いんだ、理学なんて

最後にもう一つ。理学の研究者なんて、しがみついてまでやるような仕事じゃない。

人の役になんて立たないんだから。

理学の向こうには、難病の治療法を待っている患者さんなんて存在しない。

それを解決するのは私達の学問とは別物であるべきだ。

 

それに、「自分にしかできない研究」なんて存在しない。研究を進めるのは研究者個人じゃなくて時代だ。自分がやめても、必ずその穴はいつか誰かが埋めてくれる。

一人の研究者にできることなんて、時計の針を少し早く進める、それくらいだ。

 

 

だから、楽しくできる範囲で気楽にやればいいのだ。

私は、いつか「理学部」にいながら「医学、薬学」しかできないような時代になったら、潔く職業としての研究者を引退するかもしれない。

そのほうが自分らしいだろう、そう思っている。

 

 

終わり。